現代中国における回儒の著作に対するまなざし
佐藤 実
四年間の中国ムスリムコミュニティ調査で、一貫して興味をもっていたことは、明末清初の中国ムスリム知識人、いわゆる回儒の著作について、現代のムスリムがどのようにうけとめているのかということであった。具体的には(1)著作の内容についてどのようにかんがえているか、(2)著作がどのくらい市販されていて、どのくらいよまれているか、の二点についてである。(1)は回儒の思想を現代のムスリムがどのように受容しているかという直接的な問題であり、(2)は(1)の傍証となる話柄である。これら二点についてふりかえり、いま筆者がとりくんでいる課題とからめながら、今後の自身のテーマとなるであろうことがらについてかんがえてみたい。
探検隊による共同のインタビューから、いまの中国ムスリムたちの、回儒の著作に対するみかたの典型だとかんがえられるものをみてみよう。まず2009年の夏に河南省開封の善義堂清真寺における、36歳のアホンに対するインタビューである。
Q:王岱輿、馬注、劉智といった回儒の著作を読んだことがあるか。
A:ある。馬注、劉智を読んだことがある。
Q:かれらの思想はまちがっているという人もいるが、どう思うか?
A:経学家たちはすばらしい。表面的には相違点もあるが、信仰心は同じである。王岱輿たちはカディームである。
回儒の著作をよんだことがあるとこたえているが、どのくらいよんでいるのかはわからない。それは、「経学家はすばらしい」と評価をしているが、具体的にどこがすばらしいのかが不明であることにも通じる。おそらく、回儒たちの存在については、おなじムスリムの歴史的な先人として尊崇しているのであろう。表面的な相違点をみとめていることも、実は内容的には難ありとかんがえていた可能性がある。あるいは、すでに質問において、回儒の思想がイスラーム的にまちがっているとする説についてたずねているので、その質問に対する反駁の意がつよかったのかもしれない。邪推はどれだけでもできるが、とりあえずプラスの評価をしているとはいえる。すくなくともインタビュアーにそうつたえようとしていることはあきらかであろう。
また2012年の春に河北省滄州の南大清真寺のアホン(43歳)へのインタビューもプラス評価である。タサウウフをどのように認識しているかをたずねたながれで『天方性理』についてきいている。
Q:タサウウフを勉強するのか。
A:タサウウフは中国経堂教育の一部分だが、理解力(悟性)にすぐれた者が勉強する。大衆的な理解に供するものではない。しっかりとした基礎の上に認主すべきである。あの手の知識はひとつを動かすとガラガラと崩れ落ちるので、大衆的に広める知識ではない。大衆的に広めると必ず誤ってしまう。
Q:ということは、学ぶべきではないのか。
A:そういうわけではないが、悟性に秀でた者が学ぶべきで、学ぶ者を選ぶものだ。先生が学生をどのように見るかによる。悟性が優れていると判断すれば、学ばせる。悟性の空間が広ければ学ばせる。コンピュータのようなものだ。頭の中の空間がたりなければ処理できない。教法はそうではなくて、実物があって、これはよい、これはだめということで簡単だ。
Q:(私たちは)『天方性理』を勉強しているが、いまの経堂教育ではどうか。
A:参考書として用いている。その「文化」を学ぶべきだ。
彼は経堂教育をしっかりとうけたアホンであったが、タサウウフは基礎をまなんだあとに、イスラームをよりふかく理解するために必要であるとする。劉智の『天方性理』については、経堂教育で参考書として使用するとのことだが、タサウウフに似た位置づけにあるのだな、とインタビューの際に感じたこと記憶している。『天方性理』の文化とはなにか。タサウウフ的な要素をいうのか。中国の伝統的思想との混淆をいうのか。あるいは母語である漢語によって発信するという姿勢をいうのか。ともあれ、経堂教育に参考書として使用しているというのであるから、彼も回儒の著作をプラスに評価しているといえる。
これらに対して、回儒の著作を否定するという立場がいっぽうにある。2011年春に武漢の民権路清真寺のアホン(36歳)のインタビューをみてみよう。
Q:『天方性理』についてどういう印象があるか。
A:個人的にはあまり好きではない。ある部分は認められない。儒教など不純なものが混在している。コーランやハディースに依拠すべきである。ペルシアから伝わったので、当時は選択の余地がなかった。
Q:時代的な制約のもと努力した人物ではないのか。
A:そうだ。ただし今の我々は情報が色々とあって、直接コーランやハディースに拠るべきだ。タサウウフもきらいだ。
回儒の著作には儒教的要素がはいりこんでいるため、ただしいイスラームではなく、みとめられない、と。こうした意見もかなり浸透している。以前、成都の清真寺をおとずれたとき、礼拝にきていた大学生とはなしをする機会があった。彼がいうには、中国式モスク(中国の寺院の伝統的様式によるモスク)はイスラーム的にはただしくない。屋根瓦に動物がのっていたり、壁面に植物の絵がえがかれていたりするのは、本来的ではない。当時はただしい知識がなかったのだ云々。
こうした中国の伝統文化が混淆した(とみなされた)イスラームに対する自己批判は20世紀初頭にはすでにいわれるようになったとされる1。では、前近代においては、本当に、ただしい知識がなくて、儒教など「不純」なものが混入していたのだろうか。あるいは、現代のムスリムがいうような自己批判は、前近代において、本当になされなかったのだろうか。
回儒の著作がどのくらい市販されてでまわっているのかという(2)の問題について。中国の小メッカ臨夏にはイスラーム専門の書店があるが、一般には、回儒の著作は普通の書店では販売されておらず、モスクの脇や付近にある宗教道具店とわれわれがよぶところで、白帽子、蓋頭、石鹸といったムスリムの日常生活に必要なものと一緒にならんでいる。で、販売状況だが、臨夏では白話訳による回儒の著作が豊富に販売されていたが、そのほかの西北地域でたまにみかけた程度であって、西北以外の地域では雲南、上海などをのぞいて、あまりみられなかった。歴史的遺産として好事家がよむことはあっても、一般のムスリムがよむ機会はすくないということであろう。そうかんがえると、清朝において回儒の著作がひろく国内で刊刻されていた状況2は注意しておいてよいだろう。ただし、だからといって清朝において回儒の著作がひろく賛同をえていたと直線的にかんがえるのは短見かもしれない。じつは漢語によってあらわされた書籍というかたちでのこっていないだけで、現在のムスリムによる回儒批判と同様の意見があった可能性はないのだろうか。
そうおもうのは、目下、金天柱(1690年頃〜1765年頃)があらわした『清真釈疑』をよみすすめているのだが、そのなかで、アッラーを上天に比定しているくだりがある。本書は非ムスリムにたいして、イスラームが奇異なおしえではないこと、むしろきわめて中華の伝統に親和的なおしえであること、さらには儒家よりも、より儒家的であることを説く内容である。儒家よりも儒家的であるというのは、アッラーを上帝とみなし、その上帝ことアッラーに毎日跪拝していることによって担保される。儒家といえども毎日、しかも複数回、上帝に跪拝することはまれであろう。しかし、アッラーを上帝とみなすことに反論や抵抗はなかったのだろうか。アッラーと上帝を同一視することに異論をとなえる者がいなかったとはどうもおもえない。
イエズス会は布教の便もかんがみ、神を上帝とみなして布教をおこなったが、ドミニコ会やパリ外国宣教会からそのみなしを非難され、それをうけて教皇クレメンス11世がイエズス会の布教方針を非とし、その結果、中国におけるイエズス会の布教は頓挫することになる。キリスト教の場合は、布教の主導権あらそいという側面があるため、中国のムスリムとは状況はことなるものの、一神教を奉ずる信徒として、やはりアッラーと上帝の同一視に疑問をもつのは不思議ではない。
回儒も一枚岩ではなかった。その例として、『清真釈疑』にみえる無極こそが真宰の実証であるとする主張があげられる。真宰を無極でかたることはそれ以前の回儒、たとえば王岱輿、馬注、劉智いずれにもみえないかんがえかたである。王岱輿は無極を数一レベルのものとみなして、真一の下位概念においているし、劉智はいわば「有論」として存在論を展開する3。最高存在を無の方向から説明するのはすくなくとも文献レベルでは『清真釈疑』以前にはないのではないか。では、それは金天柱の創見かというと、おそらくそうではあるまい。きっと最高存在を無極として把持するグループがいたのではないか、と想像をたくましくしてしまうのである。
ともあれ、回儒の著作からはすくいきれないもの、こぼれおちてしまうものが、かなりあるのではないかということを念頭においておきたい。では、そうしたこぼれおちてしまうものをどうやってすくいとればよいのだろうか。漢語文献を対象とする者としては、そのきざしのようなもの(たとえば『清真釈疑』の真宰無極説のようなもの)を、やはり漢語でかかれた著作からよみとらなければならないのであった。
1 松本ますみ「〈近代〉の衝撃と雲南ムスリム知識人―存在一性論の普遍思想から近代国家規格のエスニック・アイデンティティへ」(人間文化研究機構連携研究シンポジウム報告書『ユーラシアと日本 境界の形成と認識―移動という視点』二〇〇八年)などを参照。
3
詳しくは仁子寿晴「中国思想とイスラームの境界線—劉智の「有」論—」(『東洋文化』八七号、二〇〇七年)、同「中国思想とイスラーム思想の境界線—劉智の「有」論—」(堀池信夫ほか『中国のイスラーム思想と文化』勉誠出版、二〇〇九年)を参照。
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