2013年6月11日火曜日

2010年度 広州・武漢回民コミュニティ調査

20113月 広州・武漢調査 調査メモ
38日〜315
参加者:青木、黒岩、佐藤、中西、矢島



 広州調査

2011.03.11
17:10
場所:広州市懐聖寺礼拝殿脇
インフォーマント:王官雪、49歳、広州市イスラーム協会常務副会長、アホン資格あり
聞き手:青木(攻め)、佐藤(受け)、黒岩(監督)

青:あなたは済南の清真南大寺にいたとうかがったが、そこでは何をしていたのか。
王:イスラーム協会の副会長をしていた。学生をしてアホンもした。
青:懐聖寺に来たのは何年か。
王:9712月である。ここにきて13年になる。
青:ここではなにをしているのか。
王:広州市イスラーム協会の常務副会長をしていて、アホンでもある。
黒:ではあなたはイマームでもあるのか。
王:そうだ、イマームだ。
青:一般的に3,4年になると他の清真寺に移ると聞いているが、13年もアホンを勤めるのは並ではない。
王:農村の清真寺であれば普通は3,4年の任期だが、都市部では比較的固定だ。私が来る前のアホンは68年(16年?)やっていた(*要調査)。
佐:広州のムスリムはどのくらいいるのか。
王:広州戸籍を持つ信徒は1万人で、戸籍を持っていない信徒は公称6万人といわれているが、もっと多いだろう。外国人も含めると全部で10万にくらいではないか。
佐:普段の礼拝者はどのくらいか。
王:少ない。懐聖寺の付近にはムスリムがあまり住んでいない。普段の礼拝者は10人から30人くらいである。主麻のときは2500人くらいで、この礼拝殿は3000人収容できる。
黒:イードのときはどのくらい。
王:年によってちがうが、だいたい4000人ほどである。
青:どこでアラビア語と宗教知識を学んだのか。
王:済南の南大寺で数ヶ月学んで、その後北京で5年学んだ。
佐:北京経学院か。
王:そうだ。
黒:どうして済南の学習期間が短いのか。
王:南大寺の教学水準に満足できず、試験を受けて北京の経学院に進学した。
佐:あなたのお父さんもアホンか。
王:ちがう。けれどもおじさん(叔叔)はアホンで、おじいさんのお父さんと、おじいさんのおじいさんがアホンだった。三代アホンを輩出しているのだ。
青:おじさんがアホンで、おじいさんのお父さんもアホンで、おじいさんのおじいさんもアホンなのですね。
王:そうだ。
佐:おじさんも南大寺のアホンだったのか。
王:ちがう。農村のモスクのアホンだ。
青:あなたは済南の出身ですか。
王:そうだ。済南の近郊だ。

【武術について】
黒:ムスリム武術について質問させてほしい。
王:(やや怪訝な顔して)武術か?
青:回族武術について質問してもよいか。
王:一般的にムスリムは小さい頃に武術を学んでいることがおおい。
黒:どんな武術を学んだのか。
王:弾腿、査拳である。
黒:摔跤は。
王:自分はちょっとやっただけである。
佐:体育運動としてやっているのか、それとも宗教文化としてやっているのか。
王:健身のためだ。宗教の意識はない。昔はムスリムで軍人になる者も多かったので、かれらが武術をになっていた。回族は武術で優秀な人材を輩出している。(いまは文化人もいて)馬明達という者が曁南大学で博士指導教授として歴史を教えているが、かれは武術が強い。
黒:馬明達なら有名な人物だ。彼の六合大槍はすばらしいと聞いたが。
王:それは武術では最後に学ぶものなので私はわからない。
黒:彼の兄は有名な馬賢達ですね。
王:そうだ。
黒:この懐聖寺には武術班があると聞いたが。
王:ある。週末に業余で、土日にやっている。息子もやっていた。
黒:息子さんは何をやっていたのか。
王:査拳、弾腿、散打、ムエタイ(泰拳)だ。
黒:いまでも学んでいるのか。
王:息子は金曜日の夜に戻ってきて、週末にここで子どもたちに教えている。
青:回族武術は健康以外に目的はないのか。
王:昔は護身のためにやっていたが、いまはそのようなことはない。
青:護身と健康促進意外に、精神的な目的はないのか。
王:精神的な意義はない。しかし武術は回族の伝統的な文化である。回族の伝統的文化の良い点を保存することは意義があることだ。

【アラビア書道について】
青:武術のほかに回族の伝統文化はないのか。たとえば書法など。
王:書法は学校で学ぶ。
佐:それは漢字の書法のことではないのか。アラビア語の書法については。
王:経学院、清真寺で専門にやる。

【養成クラスについて】
青:このモスクでは武術のほかに何か教室はあるのか。
王:ある。何を養成するかによって短いものから23年のものまである。
青:養成の目標は具体的にはどのようなものがあるか。
王:一般的な宗教知識のクラスは長期の休みに数ヶ月、夏休み、春休みにおこなう。アホン養成およびイスラム協会職員養成のクラスは2,3年である。
青:クラスの定員は。
王:それぞれ10人だ。一般宗教知識のクラスは若者が主だが、他のモスクでは定年退職した老人対象のクラスもある。
青:みな回族か。
王:漢族の者もいて、改宗を希望する。大学生など教育レベルの高い者がなる。

青:西北であれば通訳になったり、貿易に従事したりする者もいるが、当地の回族でそうした人々はいるか。
王:こちらでは少ない。こちらでは会社を起こす者がいる。

【ミナレットについて】
佐:あのミナレットはだれが設計したのか。
王:唐の時代にきたアラブ人が設計した。上の細い部分は再建したが、下の太い部分は昔のままだ。イスラム世界でもこのミナレットの形は他に例を見ない。大変ユニークなものである。表面はコンクリートをはってあるが、その下はtuhanshiでできている。

 武漢調査

2011.03.13 
17:051時間ほど
場所:武漢市民権路清真寺3階アホン応接室兼講義室
インフォーマント:陳志超、1975年、36歳、民権路清真寺教長(アホン)
聞き手:青木(攻め)、中西(攻め)、黒岩(監督)、佐藤・矢島(オブザーブ)

陳:(部屋には何もなくて)申し訳ないが、このモスクはもうすぐ拡大工事をするために壊す予定だ。引っ越さなければならないので、何もないのだ。
青:どこに引っ越すのか。
陳:後ろのほうに拡張するのだ。
青:いつ工事がはじまるのか。
陳:拡張工事をするためには住民に引っ越してもらわなければならない。そのための拡張工事の許可を政府に申請中である。いつ許可がおりるのかまだわからない。だからいつ始まるのかははっきりとはいえない。
青:どうして拡大工事をするのか。
陳:礼拝者を収容しきれないからだ。
青:ということは礼拝にくる人は増える一方なのか。
陳:そうだ。
青:何人くらいくるのか。
陳:普段はこない。ジュマーの時には数百人くる。イードの時には数千人があつまる。
青:工事のあいだはどこで礼拝をするのか。
陳:まわりに住んでいるムスリムは少ない。まわりでお店をしている者たちは他の場所から通っている。
青:武漢のモスクはいくつあるのか。
陳:4つだ。
青:起義門、江岸(二七街)、民権路のほかにはどこにあるのか。
陳:中南民族大学の近くの新竹路にある。
中:もとは馬家庄に住んでいた人たちですね。
陳:そうだ。

【経歴】
青:ところでお名前は。
陳:陳志超だ。
青:おいくつですか。
陳:36歳だ。いまの中国のアホンは6,7割がこの年代だ。起義路のアホンも30歳だろ。なぜなら文化大革命で断絶があるからだ。
青:このモスクにきて何年になるのか。
陳:もうすぐ九年になる。そのまえは江岸清真寺で3年やった。
青:出身はどこか。
陳:河南省周口市沈丘県槐店回族鎮清真寺街だ。
青:どこでアラビア語やイスラームの知識を学んだのか。
陳:臨夏だ。甘肅臨夏の堡子清真寺で馬希慶にまなんだ。息子が韓家寺のアホンをしていて、アミニーという。サウジに留学して帰ってきている。馬希慶もアホンで韓家寺でアホンをしていた。2003年のSARSで死んだ。馬希慶のお父さんも有名アホンで、井口四師傅と呼ばれていた。
青:どのくらい甘肅で勉強したのか。
陳:臨夏で2年勉強した。最初は91年に故郷の清真古寺で李道全について勉強した。中学卒業してすぐだ。わたしは中学しか出ていないので、中国語のレベルが低い。つぎに鄭州阜民里清真寺で李尊祥についた。92年から95年だ。つぎに河南省漯河清真南寺で968月まで勉強した。最後に甘肅臨夏の堡子清真寺で勉強した。全部あわせてだいたい10年勉強した。
中:臨夏から戻ってきてなにをしたのか。
陳:二兄がバスの仕事をしていてそれを手伝っていた。切符を売っていた。それから江岸清真寺の職を友人が紹介してくれた。その友人はこのイスラム協会でかつてはたらいていた。もとは孤児院ではたらいていて、ついでパキスタンに留学してアラビア語と英語を学び、いまは広州で貿易に従事している。

〔聞き取り者の紹介をする〕

青:あなたのお父さんもアホンか。
陳:身内にアホンはいない。みな商売をしていた。自分の実家はモスクの隣でとても近かった。15年前に小村不二男という日本人がきた。ここ2,3年で中国で最も有名なムスリムをしっているか。
全員:……
陳:張承志だ。彼は日本に行ったことがあるが、しっているか。
黒:私は会ったことがある。何度も。

青:この付近にはどのくらいムスリムがいるのか。
陳:20世帯ぐらいだ。昔はもっと沢山いたが、仕事の関係などで離れていった。いまムスリムが多いのは起義路と江岸だ。起義路はみな湖北の人間で、江岸は河南から移住してきた者が多い。起義路のムスリムは信仰が希薄だ。そのほかに馬家庄に100戸いる。
青:湖北でイスラームが盛んな街はどこだ。
陳:武漢と沙市だ。
青;仙桃はどうだ。
陳:ムスリムは多いが、信仰心はいまひとつ。
青:どうして河南のムスリム文化が発展して、湖北はいま一つなのか。
陳:湖北にはモスクが60座しかなく、ムスリム人口が少ないからだ。それにたいし河南はムスリム人口が多いし、歴史的に文化の中心地であった。元のころからムスリムが多いのだ。

青:先日、馬四巴巴1の拱北2に行ったら、誰かがお参りをした跡があったが、当地の人がやっているのか。
陳:いや、外地の人だ。たぶん寧夏の者だ。寧夏のアホンが以前にお参りにきたことがある。それはジャフリーヤで、彼等はそうしたことが好きだ。各地の拱北にお参りしている。
中:それはズィヤーラでしょう。
陳:そう……

陳:君たちは何に興味をもっているのか。
青:私たちは中国イスラーム思想を研究していて、劉智の『天方性理』を翻訳している。
陳:白話『天方性理』をしっているか。作者の馬宝光は河南の漯河県の人で、自分が漯河にいたとき一緒に礼拝をして、話をしたことがある。
青:彼は何歳くらいか。
陳:50歳くらいだ。
青:何をしているのか。大学の先生なのか。
陳:詳しい仕事はわからないが、文物鑑定をしている。
青:『天方性理』についてどういう印象があるか。
陳:個人的にはあまり好きではない。ある部分は認められない。儒教など不純なものが混在している。コーランやハディースに依拠すべきである。ペルシアから伝わったので、当時は選択の余地がなかった。
中:時代的な制約のもと努力した人物ではないのか。
陳:そうだ。ただし今の我々は情報が色々とあって、直接コーランやハディースに拠るべきだ。タサウウフも好まない。

【武術について】
青:当地の回族に武術をやるものはいるのか。
陳:いる。二七街のムスリムには査拳や心意(心意六合)拳を練る者がいる。
青:査拳?
黒:査拳ですよ。
陳:「査密爾」(ジャミール)の査だ。
青、矢:おお。
陳:査拳や心意拳は「教門拳」3と呼ばれていて、ムスリムの武術である。私の故郷でも査拳を練っている。故郷のムスリムはみんな武術ができるのだ。
青:貴方も武術を学んだのか。
陳:年少の時に学んだだけだ。清真寺の中で学んだ。査拳を学んだ。我々の先生は山東から来た人だ。故郷の連中はみんな練習する。
佐・青:武術班があるのか。
陳:武術班、まあそうだ。上海で武術(心意六合)を広げたのは、沈丘の出身者だ。上海コ西清真寺のあたりには沈丘人が多い。
(中西が怪訝な顔をしたので、黒岩が白潤生4が教長をしている清真寺だと伝えると)
陳:そうだ。白潤生は実は上海人ではない。彼の父は沈丘の人で、武漢市イスラーム協会の副会長の馬主任は白潤生の父と幼なじみだ。

陳:西北軍閥の馬歩芳5は部隊を河南省に派遣した。

中:まぜ馬が河南に派遣したのか。
陳:わからない。
中:あるいはイフワニーを宣教するためなのでは?
陳:そうかもしれない。

中:河南では新行と旧行でのいさかいがあったが、今ではどうか。
陳:昔はあったが、その後、その問題は枝葉末節の問題で、原則上の問題ではないことに気づいたので、その対立はなくなった。あらたに宗教的知識が入ってきたためだ。

陳:回教救国会の白崇喜6の事務所が武漢のこの近くにあった。このモスクにも来た。

中:経堂教育はあるか。
陳:このモスクにアラビア語の学習班はない。なぜなら当地の回民が分散して住んでいること、比較的信仰心が薄いことが考えられる。ペルシア語を学ぶ者もいない。西北にわずかだけいる。

陳:商売の才能はあって、規模の小さな商売をしている者は多いが、大もうけした人はいない。ムスリムは一般的には貧しいのだ。

青:ムスリムが経営する養老院はあるのか。
陳・養老院は東北にはあるが、それは稀な例である。武漢にはない。

陳:アラビア語を勉強するために外に遊学する者もいるが、アホンになりたいと思う人はいない。






1 17世紀に活躍した中国イスラーム知識人、馬明龍を指す。
2 中国においてイスラーム聖者廟指すのに用いられる語。「拱北」とも。
3 こうした場合の「教門」はイスラームを指す。
4 ハサン・白潤生。上海イスラーム協会会長。クルアーンの中国語訳の出版やイスラーム啓蒙書の出版、研究会の組織など、実践に研究にマルチに活躍するムスリム知識人。
5 中華民国期に西北地方に割拠した軍閥、西北の五馬の一人。ムスリムであり、イフワーニーと結びついて、中国のイスラームの基準化を図ろうとした。

6 中華民国期の軍閥の一人。ムスリムであり、ムスリム書籍出版などに積極的に援助を行った。

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