2013年6月11日火曜日

2010年度 山東回民コミュニティ調査

20108月 山東調査 調査メモ
日程:2010年 89日〜19日。
山東省:済寧810日〜14日 済南814日〜18
参加者:青木、黒岩、佐藤、中西、古市、吉澤
任意参加者:新居、曺

I 済寧調査
2010.08.11(水)
 09451050
 場所:済寧清真東大寺教長室
 インフォーマント:王明璧アホン
 聞き手:古(攻)、中(受)、黒岩(監)
 
王:あなたたちは中国ムスリムの研究をしているのだな?
中:そうだ。
 →様々な中国ムスリムについての本を見せてくる。中には、済南のムスリムについての稀覯本も(済南ムスリムの家譜など)。
中:(王岱與の著作を所持しているのを見て)明清の中国ムスリム思想家の著作も勉強しているのか?
王:そうだ。
中:つまり、ハン・キターブを勉強しているのか?
王:そう、ハン・キターブ1。ん、キターブはアラビア語だ!(王アホン、ハン・キターブという表現に過剰反応し、以降質問不成立)

(『済南…』という本を開き、済南経学院2出身者名簿を見せ)
王:ここに私の名がある。どうだ。
中:(名簿のなかの一人を指して)この人はエジプトに行ったとあるが、そこでアホンを務めているのか?
王:商売をやっている。広州に行ったこの男は、通訳をやっている。アラビア語を学んだ人は、通訳を商売にできる。広州、義烏、上海などで通訳を務めている。

黒:あなたたちはラマダーンに既に入ったのだろう?
王:いや、明日からだ。いや、正確には今日の夕方からだ。あそこで(望月楼の方を指差しながら)月を確認して、ラマダーンに入る。
中:確認するのは誰が確認するのか。すなわち、誰がラマダーンに入ったと判断するのか?
王:(怪訝な顔をする)?。二人で確認する。一人では間違いが生じる可能性もあるから。
  (二人なら誰でもよい?)
中:天候が悪くて月が見えない時はどうするのか?
王:月が確認できるまで日延べする。
中:見えなくても開始するムスリムもいると聞くが?
王:推測(中国語は「推算」)して行う場合もある。しかし、信用できないというものもいるので(+ムハンマドも……といっているだろう)、日延べして確認してから行う。
中:中国ではそうするのか(日延べを指して)?
王:どちらもある。

[コミュニティについての質問に入る]

古:回民小学の大きさはどれくらいか?
王:大きさ?どれくらいの学生がいるかという意味か?
古:そう。学生はどれくらいいるのか。
王:1クラス60人で4クラスある。240人だ。
よくわからなかったので、3人でいろいろと確認する。
王:全部で1000人くらいだ。
古:1000人?そんなに多いのか?
王:1年次〜6年次まであり、それぞれ1クラス60人で4クラスある。5年次は少し少ないので、合計で1000人くらいだ。

古:男子学生と女子学生の両方がいるのか?
王:両方いる。
古:男子学生と女子学生は一緒に勉強するのか?
王:Together!(英語で答える)
古:回民小学には回民も漢族もいるのか。
王:両方いる。漢族の方が多い(?)
古:回民と漢族のどちらが多いのか?
王:漢族の方が多い。

黒:教師はどうか?
王:漢族がいるかという意味か?
古、中:教師はみんなムスリムか?漢族もいるのか?
王:どちらもいる。漢族の方が多い。
中:回民小学なのに漢族の教師の方が多いのはどういう訳か?
王:各種の原因による。
古:回民と漢族で学ぶ内容は違わないのか。
王:同じだ、一緒に学ぶ。
古:教義などは学ばないのか?
王:学ばない。
黒:漢族の両親が、子供を回民小学に行かせようとするのはなぜか?
王:入学させるという意味か?
黒、古、中:そうだ。
王:近いからだ。(聞き手3人絶句する)

黒:問題はないのか?例えば食事などは一緒にするのか、それとも分かれてするのか(ハラール・メニューを想定)。
王:食事は一緒にする。(ただし)学年によって差がある。3年生以降は(給食を?)一緒に食べる。清真(ハラール)メニューを食べるのだ。3年生以前は食べない(帰宅する)。
中:ハラールのもの(だから漢族にも問題がない)なのか。
中:礼拝はどうするのか?
王:子供はしない。臨夏など西北ではするのかもしれないが。

古:たまたま昨日、近くのムスリム幼稚園を見たが、このモスクと何か関わりがあるのか?
王:ない。設立者がムスリムでお金持ちだというだけである。
古:いつできたのか?
王:比較的新しい、10年前ぐらいだ。
古:園児にはムスリムも漢族もいるのか?
中:漢族と回民の関係は小学校と同じか?
王:両方いる。

古:回民小学は一つだけか?
王:二つある。
王:子供はどんどん少なくなるので、全体として縮小傾向にある。
中:国家の一人っ子政策のためか?
王:回民は2人まで認められているので、そうではない。親が一人しか作りたがらないということもある。
 (その他、いろいろ王アホンは説明したが、上手く聞き取れず、要領を得なかった)

古:済寧のほか、他の都市にもイスラーム協会があるはずだが、済寧と他の都市(のイスラム協会)との間には何か密接な関わりや交流があるのか?
王:ほとんどない。
古:だとすれば、各都市のイスラーム協会は相互に比較的独立して活動しているといってよいのか?
王:そのとおりだ。

古:去年、黒岩等とともに河南省で調査をしたときに開封では回民公墓があったが、済宁にもあるのか?
王:ある、ある。
古:どこにあるのか?
王:○○××にある。△△××のあたりだ…
  (地名が聞き取れないため、黒岩、地図を渡し、位置の指示を依頼)
古:北なのか南なのか?
王:南だ。
中:常志美の墓はないのか。
王:ある。
 王アホン、二つのムスリム公墓の位置と常志美の墓の位置を指示。
 公墓の一方、北寄りの方が340年来もの(改革開放以降)、南寄りの方は 10年前くらいからのもの。常志美の墓は文革で壊された後、立て直し、去年改修したとのこと。

黒:前回来た時にあなたはシュアイジャオ(摔跤)3を学んだことがあると聞いたが?
王:そうだ。
黒:どこで学んだのか?
王:済南だ。
黒:モスクの中で学んだのか?
王:そうだ。
黒:先生は誰についたのか?
王:彼のお父さんは清末(祖父の間違いか?少し時代にズレが)の名拳師であった馬清宗だ。
黒:その先生の名前は?
王:馬輌元だ(馬連年の聞き間違いだろう)
黒:彼はムスリムか?
王:そうだ。
黒:どれくらいの期間学んだのか?
王:2年だ。
黒:シュアイジャオ(摔跤)のほかに武術を学んだことはあるか?
王:ある。
黒:何を学んだのか?
王:解老師の武術だ。短刀を学んだ。
黒:彼はムスリムか?
王:違う。山東の伝統的な武術だ。
黒:何歳ぐらいのときに学んだのか?
王:20代の時だ。
黒:今でも興味のある武術はあるか?
王:ある。例えば、○○××だ(身振りからすると、迫撃、散打の類)、太極拳にも少し興味がある。あと査拳。
黒:八極拳は?
王:知らない。
王:まあ、武術は子供の頃から続けているべきものものなので、私は今はやらない。
黒:身の回りの人に武術名手はいるか?
王:いない。(黒岩が怪訝な顔をすると)この清真寺にも査拳研究会があり、先生が来ている。
黒:その先生を紹介してもらえるか?取材してみたいのだが。
王:(ややためらいながら)可能だ。明日、あってみるか?
黒:いや、今回ではない。次回だ。3月にまたくるから。
王:了解した。
黒:その先生はなんという名前か?
王:劉という名前だ。劉老師。
黒:彼はどんな仕事をしているのか?職業は?
王:薬屋だ。

中:前の調査のときにも彼らが聞いたけど(黒岩を示しつつ)、ペルシア語を学ぶ人は少ないんですよね。
王:ほとんどいないけど、少しいる。西北から来た者がやっておる。西北ならば、もうちょっといる。新疆、寧夏、甘肅、青海など。交流があるから、ここにも少しはいるのだ。
中:ニーヤトを唱えるときに、ペルシア語を使うと聞いたのだが、どうなの?
王:そのとおり。私はペルシア語で唱える。ただ、最近はペルシア語じゃなくて、漢語とアラビア語で唱える。
中:あなたは今でもペルシア語で唱えるのか?
王:唱える。(実演あり)

中:常志美の山東学派の特色は?
王:博にして○○だ。陝西学派は胡登洲に始まり、○○という特徴がある。山東学派は、十三部経を学んで、ペルシア語もやる。十三部経のなかには、常志美アホンのミンハージュが含まれている。
中:ミンハージュの原本はあるか。
王:多分ない。印刷したものならある。
中:山東学派とか、陝西学派といった観念は、今でもあるのか。
王:山東学派は、ペルシア語をやらないといけないのが本来だけども、今では衰退してしまっている。
中:じゃあ、山東学派はなくなったのか?
王:……そうだなあ(苦笑)。

2010.08.12(木)
 1110分〜1155
 場所:済寧柳行東寺教長室
 インフォーマント:イブラーヒーム 夏躬(乾?)良アホン(41歳)
 聞き手:中(攻)、上(受)、黒岩(監)

教長室をおとなって、教長に迎え入れられ、ソファーに席を勧められ聞き取り開始。
黒:ジュマーの時の礼拝は何人ぐらい集まるか?
夏:ジュマーの時か?40人〜50人だ。
中:どこでイスラームの勉強をしたのか?
夏:天津だ。
黒:あなたは当地の人ではないのか?
夏:違う、(くさかんむり+さんずいの)澤の出身だ。
中:地元の清真寺では学んだのか。
夏:学んだ。
黒:では、地元の清真寺で学んだ後、天津の経学院で学んだのか?
夏:1991年に天津に行った。経書班だ。1991年に行ったから、当時は経学院はなかった。
中:それ(経書班)は清真寺の中にあるのか?
夏:そうだ。
黒:何年学んだのか?
夏:2年だ。

中:何を学んだのか?
夏:信仰知識方面だ。
中:それはカラームか?
黒:カラームは認主学でしたか。
中、夏:うんうん。
中:フィクフ(法学)は学んだのか?
夏:学んでいない。
中:山東学派はカラーム、フィクフ、タサウウフの三つすべてを学ぶはずだが?
夏:いや…。しかし、ハワーィミンハージュは学んだ。
黒:学生にも教えているのか。
夏:私の学生か?一人だけいる。
黒:その学生は当地の人か?
夏:いや、泰安の出身だ。
中:学生にも、カラームを教えているのか。
夏:そうだ。
黒:あなたは澤の出身であるのに、どうして天津で学ぼうと思ったのか?
夏:自分の先生が天津に行ったので、自分も行った。
黒:マンラー時代に先生について天津に行ったということか?
夏:そうだ。
黒:老師のお名前は?
夏:劉アホンだ。彼の家は8代続けてアホンだ。彼は三つの言語ができる。アラビア語、ペルシャ語、漢語、どれもすばらしい(都聴好)。

中:この辺りにムスリムが集住している場所はあるか。
夏:ある。
黒、中:漢族とムスリムが混住しているのではないか?
夏:この辺りは80パーセントがムスリムだ。
黒:この付近のムスリムは何人くらいか?
夏:2万2千人くらいだ。
黒:この清真寺の周りには何人くらいのムスリムがいるのか?
夏:3千人くらいか。清真寺の周りに集まって住んでいる。
黒:それはジャマート(共同体)があるということ?
夏:そうだ。
中:普通の礼拝には何人くらい集まるのか?
夏:2030人くらいだ。

中:中国にはカディーム4とイフワーン5の両派があるが、ここはどちらか?
夏:今では、カディームとイフワーンの仲はそんなに悪くない。
黒:あなたはカディームか?
夏:そうだ。
中:済宁にイフワーンはいるのか?
夏:いない。済宁はみんなカディームだ。

中:以前、カディームのなかには、古行と新行とがあったと聞くが。
夏:古行と新行とは、カディームとイフワーンのことだ。(二度繰り返す)
中:いやいやそうじゃなくて、常志美と舎起霊が、当時の中国のイスラームはだめだと考えて、イスラームを改革したのが、新行で……。
(舎起霊がわからず書いてみせると、ああ舎蘊善のことだな、と理解)
夏:常志美はイスラームを改変したのではない。イスラームの儀礼を改革しただけ。
中:ああ、ジャナーズのときに靴を脱ぐとか脱がないとか、ですね。
夏:そうそう。カディームとイフワーンのあいだにもそういう論争がある。
中:あなたはどっち?
夏:靴をぬがない。
中:常志美のやり方ですね。
夏:そうだ。
中:現在でも、新行と古行というのはあるのか。
夏:済寧は全部、靴を脱がない派だ。でも、実は、澤には、脱ぐ奴もいる。
中:じゃあ大部分は脱がないけども、脱ぐ人もいるということですね。
夏:そうだ。
黒:澤には、どれぐらいムスリムがいるのか。
夏:市区には四、五千だ。農村部をあわせると、七万人。済寧が六万人だから、済寧よりも多いんだぞ。
中:じゃあ一万人ほど多いわけですね。
夏:そうだ。
黒:澤には、清真寺がいくつありますか。
夏:三十あまりだ。

中:あなたは学生にもペルシア語を伝授するつもりですか。
夏:しない。ペルシア語を教えても使いようがない。西北でもペルシア語をやっているアホンは少ない。
黒:もしあなたがイランに行ったら、ペルシア語を使わないといけないじゃないですか。
夏:イラン人の多くも、ペルシア語じゃなくて、英語とアラビア語を使うようになっている。
中:イランの国語はペルシア語じゃないのか。
夏:いや、アラビア語だよ。交流するときには、英語とアラビア語でやるのだ。
中・黒驚く

黒:あなたは小経、小児錦が書けるか?
夏:書けない。
中:読めないのか?
黒:あるものは読めるし、あるものは読めない。

黒:あなたには子供がいるのか。
夏:(急にうれしそうな顔をし)いる。10歳だ。
黒:子供に将来どんな職業についてもらいたいのか?
夏:それは子供自身が考えることで、親が干渉することではない。
黒:あなたは「文明的」な父親だな。
夏:苦笑

中:あなたはなぜアホンになろうと思ったのか?
夏:家庭に信仰があったからだ。
中:お父さんはアホンか?
夏:違う?
中、黒:お父さんの職業は?
夏:農民だ。だが、非常に信仰心の篤いムスリムで、家庭内は信仰にあふれていた。
中:お父さんからも宗教知識を学んだのか?
夏:そうだ。

中:ここの名前は柳行、[Liu Xing]か[Liu Hang]か?
夏:[Liu Hang]だ。
中:柳行西寺というのもあるのか?
夏:あったが、文革で壊された。
黒:ある資料ではここのことを柳行西寺と呼び、ある資料では柳行東寺と呼ばれていて紛らわしいのだが、なぜか?
夏:今では、この近隣に3つしか清真寺がないが、東大寺が東にあり、この寺が西にあるので、この寺が西寺と呼ばれることがある。

黒:あなたはやはり、子供を回民小学に通わせているのか?
夏:そうだ。
黒:普育回民小学か?
夏:そうだ。
黒:聞くところによると、回民小学には漢族もいて、漢族の方が多いと聞いたが、そうなのか。
夏:そうだ。河(回民小学南の運河を指す)を挟んで南北に学区があり、それによって回民も別の小学校に行く場合もある。
黒:それはなんと言う小学校か?
夏:和平街小学だ。
黒:それは回民小学か?
夏:違う、普通の小学校だ。
黒:ん、ここは河の南側なのでは?
夏:(やや渋い表情しつつ)いやぁ、条件があってね。河の南側でも北側の幼稚園、ムスリム幼稚園に入園していれば、回民小学に入学できるのだ。
中、黒:なるほど!

夏:日本のイスラーム教はどんな状況だ。
黒:外国からのムスリムが渡来してきてあるものは定住し、あるものは帰国するが、全体として増加する傾向にある。1980年代には東京には2つの清真寺しかなかったが、今では東京付近に30余りの清真寺がある。
夏:どれぐらいの数のムスリムがいるのか。
黒:20万人余りだ。しかし、大部分は外国人で、日本人のムスリムは2万人ぐらいだ(あまりに概数)。
夏:ふむふむ
夏:報道で、日本の政府がムスリム児童〜小学を建てたということを聞いたが?
黒、中:なんて?
夏:ムスリム児童〜小学!
黒:(ムスリム小学のことだろうと考え)ある。多分、ある。
中:それはいつからあるのか。
夏:ちょうどできたばかりだと聞いた。
黒:(大使館付設のムスリム学校ではないことが分かり、少々困惑する)う〜ん、あるんじゃないかな?

(李興華『済寧伊斯蘭研究』の「細行十三件」を見せて)
中:これを知っていますか?
夏:これは柳行西寺のものでしょ。柳行西寺はもうない。これはよく知らない。
中:それでは、ここに書いてある、「下土」って何ですか?
夏:ジャナーズのときに、アホンが念経したあと、死者の家で、ご飯を食べることだ。
中:じゃあ、この「蘇布哈圓経」って何?
夏:スブハーナッラー〜〜、というあれだよ。
中:では、この「吃鶏干抜毛」は?
夏:毛を抜いた鶏だよ。
中:この「河拉」は?
夏:これは習慣の類で、死者が死んだ場所の土塊を、お墓に入れること。(多分)
中:「皇天悟斯塔」は?
夏:うーん、なんだろうね。わからない。
中:この「[口+戛]売」は?
夏:カーマト(と聞こえた。イカーマ(立礼)のことか)だよ。礼拝のなかで、アッラーフアクバルと唱えること。
中:タクビールですね?
夏:そうそう。



2010.08.12 
済寧 清真女寺 
10:30-11:30ころ
訪問者 新居、曺、古市、吉澤

越河清真女寺訪問
インフォーマント:沙啓栄アホン 33
 女寺に向かって右に清真寺老年公寓、左に清真寺衛生所
 新居と曺が沙啓栄アホン・主任と交渉して、古市・吉澤の入構許可を取る。
 その間にアホンは、着替えを行う。
 新居、門の近くで炊事をしていた老年女性に質問をする
Q:ここに住んでいますか。
老女:そうだ。老年公寓だ
Q:すべて女性か。
老女:一人だけ男性である

アホンに誘われて北講堂に入って座る
Q:付近の信者はどれぐらいか
沙:☆答えは要領をえず (こちらの意図がまだ伝わっていない)
Q:あなたは何年前にここに来ましたか
沙:二年前(2008)にここに来た
Q:あなたは25-26歳に見えるけれども、何歳ですか
沙:33
Q:出身地はどこですか。
沙:菏沢県の出身。
Q:この付近の回族の女性はみなここに来るか、この女寺に礼拝に来るのは何人か。
沙:回族はばらばらに住んでいる。30人くらい。
  この間、回族と回民の意味の違いについて議論になる
Q:ここには経堂があるか。
沙:(よくわからない様子)?
Q:教育をする場所はここにあるのか。
沙:河南・甘粛にはあるが、ここにはない。
Q:あなたはアラビア語ができますか?
沙:少しできる。
Q:どこで勉強しましたか。
沙:10数年前に鄭州で勉強した
Q:アラビア語ができる女性はいますか。
沙:少ない。
ここで折り紙を渡す
Q:金曜に特別な礼拝をしますか。
沙:イスラームは毎日五回の礼拝がある。
Q:イスラームは金曜に特別な礼拝があると聞きますが、ここにはありますか
沙:それはジュマーだが、女性は無関係だ (男性の後ろでやってもよい)
Q:それでは特別な活動がありますか。
沙:イスラームには開齋節などの三つの節日がある。
Q:昨日からラマダンだが特別な活動をしましたか。
沙:とくにない。
ここで図書室に案内される
『イスラム文化研究』などの雑誌があり。
図書室は、(済寧)東大寺のアホンの書あり(ムスリム書法)
Q:外国人が来たことはあるか。
沙:マレーシア人は来たことがある。
Q:さっき入り口でみかけたが老人が住む場所があるのですか?
沙:ある。みてもよい。
もう一人、中年女性が加わり、中国のどの大学で勉強しているか聞かれる。
北講堂から出る
Q:どこで礼拝をするのか
礼拝場所に案内される。
老人の住まいに案内される。
Q:何人ぐらいここに住んでいますか。
沙:20人あまりである。
Q:礼拝に来る年齢層はどれぐらいか。
沙:50代以降の人、引退した世代だから
その後、新居に対して、天地創造や来世について、キリスト教との相違を強調
挨拶して退去

モスクの内部配置
 
向かって右 老年公寓
    左に衛生所
門を入ると中庭
中庭の右に北講堂、左に南講堂、正面に礼拝堂
北講堂のなかに図書室と档案室さらに事務室のようなものあり
中庭で、北講堂の外側のところに四つの碑があった。どうも新しそうに見える。


 済南調査

2010.08.14(土)
 15051615
 場所:済南清真南大寺教長室
 インフォーマント:イブラーヒーム 金述龍アホン(45歳)
 聞き手:黒(攻)、中(受)

 来復銘(明代)の碑文撮影後、教長室に誘われる。

黒:(おいてあった作品と墨の香りを嗅いで)あなたは書法を好むのか?
金:そうだ、まさに愛好している。
金:山東省のどの辺りを回ったのか?
黒:済寧に行った。前回は河南開封と、そこから済寧に行ったので、済寧には2 
回行っている。今回は直接済寧に入ったので、済南には初めて来た。
金:(得意そうに)済寧に行ったのか。あそこの王名璧は私の弟子だ。
黒:あなたは済南経学院の教師でもあるのだな?
金:そうだ、この南大寺の教長であるとともに、経学院の教師もしている。
中、黒、中国語でコミュニティ聞き取りを先にするか、書法について聞くか打ち合わせをする。書法を選択。
黒:私は書法はできないが、芸術方面に興味があるので、あなたに書法について取材してもよいか?
金:構わない。
黒:では、書法をどこで学びましたか。
金:経学院で学んだ。経学院では、3年目に書法を学ぶ。経学院では、1年目にアラビア語を学び、2年目に宗教方面の知識(法学、クルアーン学、ハディース学)を学び、3年目に書法を学ぶ。
黒:誰にならったのか。
金:陳進恵だ。彼は北京経学院の書法の先生だ。
中:済南の経学院で(イスラームを)学んだ後、北京の経学院で学んだのか?
金:そうだ。
中:何年学んだのか?
金:済南で4年、北京で1年だ。(書法については)北京では10の科目があって、書法課はその一つだった。済南では(文字の規格)など基礎的なことを学んだ。
黒:では、あなたは済南では自己で書法を研鑽したのだな。
金:済南では基礎的なことは学んだ。済南の経学院には当時、書法課はなく、専門の書法家もいなかった。書法のうまいアホンはいた。
黒:では済南では臨書を通じて書法を学び、運筆がどうといったことは自学し、北京で本格的に学んだのだな?
金:北京の経学院では10の課があり、書法は必修課だ。自分は書法を特に好むので、重点的に行った。三・一体、すなわちスルスもディワーニーもルクアもファールシーも学んだ。
黒:クーフィーは?
金:クーファ?それもやった。宗教的にも文化的にも現代のアホンには書法が必要とされるのだ。なぜなら、ムスリムが店を開くときにアホンがアラビア文字の書法を書いてやる必要があるし、一般の家庭でもそういうものを好むものがいる。「清真言」や「バスマラ」などを書いてやる必要がある。
黒:一般に書法はどれくらい学ぶのか?
金:12年では功力(功夫)が足りない。3年〜5年の修行が必要だ。
中:あなたはどれくらい学んだのか。
金:10年だ。私は不断に練習している。間隔が開いてしまうと功力が失われる。金:一般のアホンの中にも、書法の得意な者もいる。しかし、彼らは(アラビア文字の)基本をしらない。一方、経学院出身のアホンは基本を知っている。
黒:ところで、あなたは何歳だ?
金:45歳だ。
黒:では、私と同じ歳ですね。
金:それは意外だな、もっと若いかと思っていたよ。
中:僕は34歳だ。
金:それは若いな。
黒:ところで、済寧の王名璧アホンは優秀な生徒だったのですね。
金:そうだ。文革が終わって1980年に経学院ができ、1984年に卒業した私が一期生。1993年に卒業した王名璧は二期生だ。(二期生のなかでも)経学院を卒業した者の中でも、アホンになった者はそう多くない。商売などをする者が多い。
中:どうして(一期と二期の間に)これほど間が空いているのか?
金:先生がいなかったからだ…うーむ…。(西寧の事例に似る)…
黒:王名璧は20代の終わりで、著名な清真寺のアホンになっているので、さぞかし優秀だったに違いないと思って聞いたのです。
金:まさにその通りだ。
黒:ところで、書法に使う筆を見せてもらえませんか?
金:よかろう。
黒:「寛筆」ですね。
金:広いのも細いのもある。すべて、手作りだ。
黒:(へら状の筆に巻いてある布を指して)これは何ですか?
金:一種の布だ。墨汁をしみ込ませるためだ。(別の筆を指して)これは中国書法の毛筆だ。署名をするのに使う。
黒:作品を見せてもらってもいいですか?
金:よかろう。欲しいのがあったらプレゼントとするよ。これらは今日の午前中に書いたものだ。
黒:あなたはルクア体を好むのですね。
金:いや、それは私が(今)使っている筆が広いからだ、ファールシーやクーフィーにはもっと細い筆を使う。
中:毎日書いているのか。
金:そうだ。時間があればなるべく書くようにしている。
黒:一つの作品にどれくらい時間をかけるのか。
金:ゆっくり書く。しかし、それほど時間はかからない。

(立ち去ろうとすると)
金:最後にひとつ言っておこう。この済南南大寺は日本のイスラーム教と関係が深いのだ。
中:日本の最初のムスリムのことですか?
金:そうだ。1920年代に日本人がやってきて、ここで改宗して、イスラームを日本に持ち帰って、劉智の著作を翻訳した。
中:田中……
金:そうそう、田中逸平だ。1920年代といえば、ドイツから日本に統治権が移った頃だ。彼はもともと仏教の研究のためにやってきて、このあたりに住んでいたのだが、この南大寺に来て、イスラームの教えを理解して、改宗した。それで、清真指南だったかなんだったかを翻訳したのだ。
中:劉智の天方至聖実録のことですね。
金:そうそう。実は、これは三、四年前に来た、武藤という日本人から教えてもらったことだ。武藤は、サウジにも行ったことがあって、とてもアラビア語がよくできる。彼は、田中の孫弟子だ。六十歳くらいであった。
中:武藤はムスリムか?
金:うーん、わからんけど、とにかくアラビア語がよくできて、歴史にも通じていた。私は彼から、南大寺と日本のイスラームの関係が深いということを聞いて、とても興奮(激動)した。

2010.08.15(日)
 14151600
 場所:済南清真南大寺教長室
 インフォーマント:イブラーヒーム 金述龍アホン(45歳)
 聞き手:中・新(攻)、黒・吉・上・曺(受)

 待ち合わせ時間に若干遅れて教長室をおとなうと、待ちかねた様子で誘われる。

中:まずこのあたりのジャマートについて質問をしてよいか。
金:よい。
中:この清真寺付近のジャマートの人口はどれくらいか?
金:このあたりはラク(さんずい+楽)回民小区といって、…。およそ4000戸、170008000人のムスリムがいる。
中:それはみんなムスリムなのか。
金:90パーセントがムスリムである。残りの10パーセントが漢族で、古くから住んでいる。
中:漢族は古くからいるのだな?
金:そうだ。漢・回の関係は良好だ。摩擦等はない。
中:ずいぶん大きなジャマートですね。
金:長春にも同様の規模のジャマートがある。沿海部で最も大きいジャマートだ。
中:北京、とくに牛街などとくらべてどうか。
金:北京の方が大きいかもしれない。北京と済南では、そもそも人口の規模が違う。北京の人口は1000万程度だ。北京のムスリムは20万人で、済南は10万人だ。(済南には大きなジャマートがあと二つある)。市区には2万人足らず。多くは農村に住んでいる。4万人?程度だ。済南(市)には55県に56の清真寺がある。
新:その56座には女寺は含まれているのか。
金:済南には女寺は一つしかない(市区には、の意か。金アホンの出身地である済南郊外の小金荘にも立派な女寺がある)。しかし、済南には「稍麻」[suoma](小モスク、簡易礼拝所を指す)があり、そこで女性は礼拝できる。

中:礼拝にくる信徒の数がどれくらいか?
金:平時は数十人だ。
中:ジュマーの時は?
金:300400人だ。
中:大祭の時は?
金:イードの時は10002000人だ。イードの時は子供もくる。
中:なかなか多いですね。
金:礼拝に来る信徒は年々増えている。山東大学の外国人留学生もいるし、新疆や甘肅などから来る人々もいる。
吉:あなたはここの人ですか?
金:そうだ。済南の西の郊外にある小金荘だ。そこには40005000人のムスリムがいて、三分の二の姓が金で、あとは馬と周だ。
中:清真寺もあるか?
金:ある。明代の創建だ。

中:あなたは弟子がいますか。
金:十人くらい。
中:今ですか?
金:93年のことだ。王明璧とか。アホンとしての仕事があって、時間がないから、弟子はとらない。
中:経学院の先生にして清真寺のアホンである人が、弟子をとるのは一般的なかのか。
金:そうじゃない。伝統教育では、アホンが弟子をとるんだが、今は学園教育に移行した。学園教育では、十課を教えるが、専門に弟子をとったりはしない。
中:各課ごとに先生がいるからですね。
金:そうだ。
中:あなたは何を教えているのか。
金:アラビア語、イスラーム基礎知識、コーラン知識、それからアラビア文書道。
中:フィクフは?
金:もちろん。コーラン、ハディース、タフスィール、ブハーリーなどを教えるぞ。
中:タサウウフは?スーフィー派のものは?
金:教えない。経学院では、四年、多くても五年だから、できることに限りがあるのだ。
中:ペルシア語は?
金:私はちょっとやったが、今の学生はやらない。でも、今でも術語としてペルシア語を使う。礼拝のバームダード、ディーギャル、ホフタンとかね。
中:ニーヤもペルシア語で唱えるのですよね。
金:主意だな。そうそう。
中:あなたは今でもニーヤをペルシア語で唱えるのか。
金:ときにはペルシア語で唱えるし、アラビア語で唱えたりもする。
中:漢語でもやるのか?
金:漢語でもいい。
中:ペルシア語は好きですか?
金:私は少ししかやってない。私に教えてくれた老イマームはよくできた。チャハール・ファスルや、ムヒンマートをよく読んでいた。

新:こんなこと聞いていいかわからないけど、ムスリムとキリスト教徒との関係はどうですか?
金:うーん、ざっくばらんに言えば、関係はとてもよい。過去にはいろいろあったけども、今はいい。済南では、宗教的な対話はとくにないけども、社会的な交流はある。上海では宗教対話が催されている。済南では、宗教対話はやらない。教義の話をしだすと、議論にならない。たとえば、お前たちは仏教徒だろ。
新:そうです。でもまあ、とくに信仰があるわけじゃない。
金:仏教徒は多神教で、ムスリムは独一の神を信じる。教義の話をしだしたら、矛盾がおこる。だから、原則の部分で対話を行う。どの宗教も、目的はひとつ、幸福になるということだから、矛盾はない。
新:キリスト教徒の友達がいるか?
金:もちろん。牧師、和尚、道士は、アラビア文書道を見せてくれと言ってくる。

吉:このあたりにハーッジはたくさんいますか?
金:増加傾向にある。なぜならば、このあたりのムスリムの宗教知識が高まっているからだ。もうひとつ、経済的な理由があって、経済的に豊かになってきているからだ。往復の費用は三萬元くらいだ。

中:タサウウフにたいしてどういうふうに考えているか。
金:済南には今でもジャフリーヤのカウムがいる。でも、清真寺はない。家庭のなかで伝えている。イマームもいない。
中:ライースも?
金:それもいない。でも、金子常アホンがいた。彼は新疆にも行って、エジプトにも行った。甘肅のどこだったかで、ジャフリーヤを伝授され、済南に帰ってきた。5060年代、解放前後に活躍していた。山東と新疆の両方のライースをやっていて、両地に奥さんがいた。
中:金子常のあとはどうなったのか?
金:文革でジャフリーヤだけじゃなく、みんな弾圧された。その後、南大寺などは復活したが、ジャフリーヤのカウムは少なかったので、だめだった。金子常の息子がいて、彼が中央に復活を要求したんだが、やっぱりだめだった。

黒:この清真寺内には武術はあるのか?
中:武術活動だ。
金:ある。シュアイジャオ(摔跤)、搏撃、散打、査拳、八極、六捶短打などがある。
黒:あなたも武術を学びましたか?
金:学んだ。シュアイジャオ(二十四勢シュアイジャオ)、搏撃、散打、六捶短打を学んだ。この清真寺の裏には回民体育社がある(あった?)。武術房とシュアイジャオ房があって、シュアイジャオ房では錘を使ったウェイトトレーニングや木偶を使ったトレーニングをしていた。
新:見せてもらえるか?
金:今はやる者もいないので…、ウーム。済南の出身で馬清宗という名手がいて、彼は1937年に搏撃・散打の全国チャンピオンになった。あと、王子平を知っているだろ?
黒:彼は「大力王」と呼ばれていて、確かロシアのレスラーに勝った。
金:その通りだ。
黒:あなたは馬清宗に習ったのか?
金:私の師匠は周子和だ。彼は保定の人だ。
  経学院の体育課では、武術を練る。
黒:あなたの学んだ八極は何派のものか?八極には孟村呉家ものや、長春派等があるが?
金:八極はムスリム起源の武術だ。
黒:孟村呉家のことでしょう?
金:よくわからないが、(私の学んだ八極は)滄州ものだろう。滄州は武術の郷と呼ばれていて、王子平も滄州の出身だ。私の師匠も滄州で学んだ。
黒:あなたはムスリム独特の武術で回回十八肘と呼ばれるものを知っているか?
金:回回十八肘?済南のものか?
黒:そう聞いた。
金:知らないな。でも、ムスリム起源のよい武術で十路弾腿がある。
黒:十路弾腿ですね。
金:最近は指導者も少なくなったし、若い者もやりたがらない。幹部(領導)も喜ばないから、どんどんやる人は減っている。
体育社跡!に移動。
金:あそこに武術房があって、あっちにシュアイジャオ房があったが、清真寺の立て替えのときに壊されてそのままになっている(見たところ、家庭菜園になっている)。8090年代は状況がまだよく、武術を学ぶ者も多かった。今では練習するのは老人、中年、専門家だけだ。
黒:あなたは今でも武術を練習しているか?
金:やった。入学した当時はよく練習した。
黒:今でも練習するか?
金:少しはやる。

(図書室で族譜を見ながら)
中:済南には賽典赤6の一族はいるのか。
金:いる。
中:じゃあ、彼らは自らをサイイドだと考えているのか。
金:そうだ。
中:サイイドにたいしては、特別に尊敬しているか。
金:もちろんだ。
中:中国のサイイドは、緑色の帽子をかぶるなど、何か標識はあるか。
金:ない。
中:じゃあ、表面上は見分けがつかないのだな。
金:そうだ。サイイドだからといって他のムスリムとちがうわけではない。ムスリムはみな兄弟だ。平等なのだ。


2010.08.15(日)
山東省済南 南大寺清真女寺
調査者:新居・曺

1605分頃 南大寺の馬アホン(金アホンの間違いか?)の先導で女寺へ
馬アホンが、新居・曺を、3人のアホンと1人の初老女性に紹介してくれる
インフォーマント:
唐静アホン
竇アホン(名不詳)
文燕アホン

挨拶のあと、3人のアホンと写真を撮り、スカーフのかぶり方について指導を受ける
その後、唐アホンと礼拝堂の中へ

Q:ここに礼拝に来るのは何人くらいですか
唐アホン:いつもは100人くらい、開齋節のときは200人くらい
Q:開齋節のとき、何か特別な活動はしますか
唐アホン:する。南大寺と一緒に行うことも
Q:南大寺のアホンとはどういった知り合いですか、友人ですか
唐アホン:みんな知り合いだ、友人だ
Q:あなたの出身はどちらですか
唐アホン:済南だ
Q:礼拝に来る人たちの中で、一番多いのはどの年齢の人たちですか
唐アホン:最高齢の人は90才ちょっとで、一番多いのは40代と50代だ
  20代、30代の人もいる
Q:改めてお聞きしますが、あなたはアホンですよね
唐アホン:そうだ、(外の2人を示しつつ)この3人がアホンだ
Q:あなたはアラビア語ができますか
唐アホン:できる
Q:アラビア語はどこで学んだのですか
唐アホン:山東省の菏澤県だ
  他のアホンの一人は、北大の??の清真寺で学んだ
Q:ではあなた方アホンは、この女寺の人たちにアラビア語を教えるのですか
唐アホン:現在特に教えているわけではないが、みな教えることはできる
Q:ここに来る女性の中で、アラビア語ができる人は多いですか
唐アホン:多い、皆中国語ではなくアラビア語で経をとなえる
Q:ところで子供さんはいますか
唐アホン:いる、15才の男の子が一人
  他のアホンの一人には、15才の女の子が一人いる
Q:あなたの旦那さんは南大寺へ礼拝に行くのですか
唐アホン:毎晩礼拝する夫は小さな商売をしている
Q:(大殿正面にかかっているアラビア書法作品を示して)あれはどなたの作品ですか
唐アホン:劉アホンの作品だ彼は今エジプトに行っている
Q:留学しているのですか
唐アホン:留学と言ってよいだろう
Q:適切な質問か分かりませんが、プロテスタント教徒との関係はどうですか
唐アホン:とても良い、彼らは彼らのことをし、我々は我々のことをするだけだ
唐アホン:水を飲むか
Q・曺:結構です
Q:あなた方は飲まないのですよね(ラマダーンなので)
アホン:飲まない710分頃、日が落ちるまで何も食べないし何も飲まない

ここで礼拝堂の外に出て、他の2人のアホンとも話をする
唐アホン:竇アホンは77才だ
  教長だ
Q:(竇アホンは)どちらの出身ですか
竇アホン:故郷には60年間一度も帰っていない、出身をきいても仕方ないよ
文アホン:竇アホンは山東省の聊城出身で、60年前そこで洪水が起きた
Q:(文アホンは)どちらの出身ですか
文アホン:済南だ
Q:ここに外国人が来たことがありますか
唐アホン:ある、パキスタンとアルジェリアから来た
Q:皆イスラム教を信じている人たちですか
唐アホン:そうだ

3人にそれぞれお土産をわたし、挨拶ののち撤収(1635頃)


2010.08.16(月)
 14401530
 場所:済南清真北大寺教長室
 インフォーマント: 李全福アホン(44歳)
 聞き手:青(攻)、黒(受)

 碑文を撮影した後、教長室に招き入れられる。

青:何点かうかがってよいか。
李:構わない。
青:そこで成達師範学校7の碑文を見たが、成達師範学校は済南のどこにあったのか。
李:ここにあった。穆光学校と穆華庭と木家車門はみんなここだ?
青:ほんとにここにあったのか?
李:南大街の後ろ側だ。
青:今は何になっているのか?回民小学か?
李:何もない。大通り、経七路になっている。
黒:あなたは当地の人ですか?
李:違う、徳州の出身だ。
青:あなたはここに何時来ましたか?
李:2002年だ。
青:ここには何人のアホンがいますか?
李:10人いる。
黒:そしてあなたは教長なのだな。
李:そうだ。
黒:あなたはどこでイスラームを学びましたか?
李:徳州と河南だ。小さい時は徳州で学び、それから河南で学んだ。
青:河南はどこで学びましたか?
李:鄭州の阿文学校で学んだ。二年だ。
黒:ということは、あなたは河南の経学院の出身なのだな。
李:そうだ。
青:徳州では何年学んだのか?
李:6年だ。
青:合計8年だ、けっこう長いな。ん、ところで何歳から学んだのか?
李:16年だ。
黒:あなたはペルシャ語を学びましたか?
李:少し学んだ。経書を見て発音することはできる。
青:会話は?
李:会話はできない。お前らはペルシャ語ができるのか?
青、黒:できない。
青:この清真寺には「後配殿」というのがありますが、ちょっと変わってますね。
李:そうか?あそこではいろいろな活動をする。資料室、外地ムスリムの活動室、結婚紹介所等がある。(清真北大寺のパンフレットを見せながら)、こんな感じだ。
青:この女性たちは女寺で学んでいるのか?
李:いや、この寺にきて研修を受けている。
黒:このコミュニティには何人のムスリムがいるのか?
李:15000人程度だ。
青:南大寺と北大寺はとても近い。
李:そうだ、近い。
青:南大寺で礼拝する人と北大寺で礼拝する人で何か違いがあるのか?
李:昔は違いがあったが、今は自由だ。
青:昔はどう違ったのか?
李:習慣の問題だ。父親が礼拝していた方で子供も礼拝するといった。解放後はどっちでもよくなっている。

黒:この清真寺内に武術活動がありますか?
李:以前は清真寺でシュアイジャオなど武術の教室があった。後配殿ができるまではあった。
青:今は?
李:外部でやっている。
青:どこでやっているのか?
李:泉城広場だ。
青:いつやっているのか?早朝か?
李:いや、夕方だ。
青:やっているのは老人か?
李:いや、子供たちだ。
黒:あなたも武術を学んだのか?
李:ちょっと学んだ。
黒:何を学んだのか?
李:査拳、弾腿。ムスリムの武術だ。
黒:弾腿とは十路弾腿のことだな。
李:そうだ。

黒:ジュマーの時はどれくらいの人が礼拝に来るのか?
李:100人くらいだ。
黒:大祭のときは?例えば、クルバーンやフィトルの時は?
李:いっぱい。(清真寺のパンフレットをみせつつ)こんな感じだ。
青:徳州ではどの清真寺で学んだのか?
李:臨邑県石家清真寺だ。
青:徳州にはペルシャ語文献を多く持っている清真寺があると聞いたが?
李:ある。それは石家清真寺だ。私はそこの出身である。

(礼拝殿に誘われて)
李:礼拝殿の中心部の高い屋根のところは,明弘治年間のものだ。入り口付近は清代の増築で、ミフラブのあるところは、民国期の増築だ。
青:この礼拝殿の何人収容可能ですか。
李:千五百人です。
青:ジュマーのときは何人礼拝に来ますか。
李:2、3百人です。一定していません。
青:お祭りの時はどのぐらい信徒が集まりますか.
李:礼拝殿に人が入りきれなくて、中庭に人があふれるほど来る。
李:改革開放後、このミンバルを作りました。
黒:ミンバルが中国様式ですが、どうして中東様式で作らなかったのですか.
李:礼拝殿が中国様式で作られているという歴史的条件に鑑み、中国様式で作られました。アラビア語で説教をする時は、ミンバルに上って説教するが,中国語で説教する時は、ミフラブの前のところで説教をします。
黒:そういうやりかたは一般的なものですか。
李:山東省ではどこもそうだ。中国ではそうだ。エジプトやサウジではともかく。
李:(黒岩氏の下腕部を指差しながら)ところで、君は武術をやっているね。
黒:えーっと(愛想笑い)……。
李:(たたみかけて)やっていますね。日本の武術ですか、それとも中国の武術ですか。
黒:(苦笑いをしながら)高校までは日本の武術をやっていました。大学に入ってからは,中国武術を習いました。
李:中国武術は何を習いましたか。
黒:南派少林拳をやったあとに、陳氏太極拳をやり、最後に形意拳をやりました。形意拳は、大成拳とも言います。
李:大成拳というのは知りません。
青:どうして黒岩さんが武術をやったことがあることがわかったのですか。
李:彼の腕と目つきでわかりました。(十路弾腿の単鞭を示範し、黒が反応できるかどうかを試しつつ)武術をやるときにはこういう独特の目つきになる。彼の目つきはそれだ。
黒:はあ。でも、僕は武術を愛好しているだけで、大した武功がないし、喧嘩は嫌いですよ。
李:それは分かっている。我々だって同じだ。宗教を学ぶ課程で、内面の修養のために武術を学ぶのだ。


2010.08.16
 曇のち雨
1320
巴巴墳、馬鞍山(回民公墓)訪問
調査者:吉澤、中西

1320
ホテルから濼口南村にタクシーで向かい、北辺の濼口南路で下車。
西に少し進んだのち、南に下り、そして一本目を西、さらに一本目を南に行くと、濼口清真寺に到着。門を入ってすぐのところにアホン室があったので、アホンに参観の許可をもとめるとともに、質問。
中:李巴巴を知っていますか。
ア:知っている。
中:彼の墓はここですか。
ア:ここではない。もともとは黄河の北にあったが、馬鞍山に遷された。
清真寺内に碑文はあるが、古いものはない。
周囲には多少ムスリムが住んでいるようだが、それほど大きな集住区とは思えず。


そこから馬鞍山にタクシーで向かう。1420分ころ、山の北側、馬鞍山路で下車。
市体育中心(スタジアム)の対面を南下すると、登山口を発見。そこから、昇って、分かれ道で左側へ進むと、墓地がある。
主にあるものは、巴巴墓が二十くらい。その他、一般ムスリムの墓と思しきものが二十くらいか。加えて、左公の墓のかたわらに、道光年間につくられた碑文(表漢文、裏アラビア語)あり。
また、武術家の馬清宗8の墓あり。

2010817(火) 徳州石家村清真寺
 11401230
 場所:臨県石家村清真寺礼拝殿前
 聞き手:中(攻)、黒(受)
 インフォーマント:麻昌森アホン、麻アホンの妻、清真寺管財人

中:ここにペルシア語の写本があると聞いてきたのだが、あるか。
妻:文革で全部なくなった。
中:でも北大寺のアホンが言うには、ここにあると聞いた。
妻:現代のアホンは、漢語とアラビア語で書かれた本を読むから、ペルシア語のものなんてない。そもそも内容は同じなんだから、そんなもの見なくてもいいじゃないか。
黒:我々は歴史学者だから、古いものを見たいのだ。
妻:われわれはここに来て一年もたたないから、よくわかんない。
中:前にいたアホンはどこに行ったのか。
妻:多分、臨県のどこかだ。

そうこうしていると、アホンが礼拝を終えて出てきたので、再アタック。
中:ペルシア語写本がここにあると聞いてきたのだが、あるか。
麻:いろんな人がもっていってしまって、ここにはもうない。
中:誰がもっていったのだ。
麻:済南の伊斯蘭教協会や宗教局とか。
中:前に松本という日本人がここに来て、写本を見たという話を聞いたことがあるんだが……。あなたは、ここに来て間もないのか?
麻:一年に満たない。日本人が来たという話は聞いたことがある。
中:ペルシア語写本のもともとの所有者は誰なのか。
麻:それはもう分からない。各家庭からもちよられたもので、もはや分からない。

黒:この付近にどれくらいムスリムがいるか。
麻:一万五千くらい。
黒:じゃあ、石家村はどのくらいか。
麻:千七、八百だ。
黒:全員ここで礼拝するのか。
麻:そうだ。
中:ではここの村は全部ムスリムなのだな。
麻:そうだ。
黒:ジュマー礼拝にはどれくらいくるか。
麻:百人だ。
黒:じゃあ、イード・アル=フィトルのときは?
麻:開齋節か。四百から五百だ。
麻:日本にはムスリムがどれくらいいるか。
(黒:アプリオリの情報を伝える。)

管寺のおじさんが登場
中:ここにペルシア語写本があったと聞いたが、どうなったのか。
管:伊斯蘭教協会(省のか?)とか、宗教局とか……
中:前のアホンはいまどこにいるのか。
管:商売をしている。もう連絡手段がない。前に日本人が来て、写本の写真を全部撮っていったはずだ。
中:それは松本か?
管:そうそう。

黒:あなたは武術を学んだことがあるか。
麻:ない。武術について知りたいのなら、澤や聊城の冠県、しん(くさかんむり+辛)県に行けばいい。あそこは武術をやる者が多い。このあたりはいない。

黒:あなたはどこでイスラームを学んだか。
麻:ここで学んだ。
中:小さいころか?
麻:そうだ。
中:何年か?
麻:一年半。北大寺でも学んだ。
中:北大寺では何年?
麻:四、五年。アラビア語学校でも学んだ。
中:それは経学院のことか?
麻:ちゃう。まあ似たようなものだが、経学院は国家が按排するもので、アラビア語学校は民間だ。私は内蒙古のアラビア語学校に行った。
中:何年か。
麻:二年だ。しかし何年どこで学んだとかというのも、お前たちの研究に必要なことなのか?
中:個人的に興味があるんだ。
麻:アホンになるための学習期間は様々だ。最も短いものだと、四、五年、長いものだと、十年かかる。

昼食後、隊長は帰投、中西のみで南大寺に。金アホンにセカンド・オピニオンをとる。
中:先ほど石家村の清真寺に行ってきた。ペルシア語写本があると聞いて、行ったが、なかった。どうやら済南伊斯蘭教協会とかがもっていったらしい。何か知っているか。
金:石家村の清真寺は、古老な清真寺だ。が、徳州の管轄だから、分からない。
中:伊斯蘭協会とかが、清真寺の写本なんかをもっていってしまうことは、ありうることなのか?
金:それはこういうことだ。清真寺では、古い文物を保管することが難しい。だから、貴重な文物を保管する目的で、協会に引き取られるのだ。

金:この清真寺にはむかし日本人が来て、当時のアホン曹鳳麟と会い、イスラームに改宗して、イスラームを日本に持ち帰った。日本のイスラームはそこから始まったのだ。民国10年より前のことだ(礼拝大殿の前の民国十年の碑文に曹鳳麟の名が見える)。

その後、アホンに頼まれ、日本語を学んでいるという高中二年のお嬢さん(日本語歴四年)と交流。


2010.08.17
済南郊外小金荘訪問 
10101205
訪問者 青木・上出・吉澤
インフォーマント:
満明顕アホン(教長)
金鑫イマーム

1010分ころ 小金荘清真寺に到着
満明顕アホンと面会
本殿とその前の碑文を見せてもらう
向かって右が道光年間の勧善条約  一面のみで碑陰なし
向かって左が光緒二年の捐輸学田碑記
大殿に向かって左に井戸があり、かつてはこれを用いていた
青:お年は?
満:38歳である。
青:どちらの出身
満:聊城出身。
青:アホンは何人ですか
満:ここには六名のアホンがいる
青:あなたは教長ですか
満:そうだ
青:ここの回民はどれぐらいいるか
満:4000
青:毎日何人ぐらい礼拝に来ますか。
満:4060人。だいたい夜。
青:過節のとき、どれぐらい来ますか
満:だいたい皆来る
青:それでは礼拝堂に入れないでしょう
満:男女は別だ。女寺もある。
青:女寺はどこにありますか。
満:となりだ。昼は忙しいから夜に来る。
青:あなたはここに来て何年ですか。
満:七年目だ。2004年に来ました
青:それ以前はどこでアホンをしていましたか。
満:済陽県である。
青:あなたはどこでアラビア語・イスラム教理を学びましたか。
満:中学卒業後、聊城のモスクで二年、そのあと済南北大寺で二年学んだ。
青:経学院で学んだことはないのか?
満:…短期的に進修したことはある。一年に満たない
このあたりで金イマームが入ってくる。まもなく、他に二人加わり、三掌教がそろう
青:いつまで、ここでアホンをしますか。
満:それは決まっていない。招聘しだいだ。
青:ここの村人はすべて回民ですか。
満:そうだ。二人だけ漢族がいて、それは漢族の墓の墓守だ。
青:アホンにとって最も大切な仕事は何ですか。
満:経を読む、説教、礼拝、過節の活動などを通じて村人のまとまりをつくる。
青:清真寺管理委員会というのは、教老の組織か
満:そうだ
青:ここは三姓の村と聞いているかそうか。
満:金・周・馬だけでなく、他姓もいる。崔など。
青:ところで、あなたは結婚されていますか。
満:そうだ
青:さっきあなたと話していたのは息子さんですか。
満:そうだ。息子が一人、娘が一人。息子は小学二年、娘が中学二年
青:奥さんとはどこで知り合いましたか。
満:聊城だ。妻も聊城人だ。
青:この村にはアラビア語を学ぶクラスはありますか。
満:…ある
青:いつやりますか。
満:0406年の夏休み。学校に通う子供たちのためのクラス
青:子供は喜んでアラビア語を学びますか。
満:そう。民族のプライドがあるし、親が喜ぶので子供たちはアラビア語の学習に興味をもつ。
金:ここからはパキスタンに一人、エジプトに四人留学している。
青:卒業して何をしていますか。
金:まだ在学している。
青:留学費用は誰が出しますか。
金:親が出している
青:村人はどういう職業ですか。
金:いろいろだ。運輸業(運転手など)、自動車ディーラー、済南の食堂、小さな商売、牛(乳のため)・鶏・羊を飼うなどだ。
 ここは古い伝統を守っている。三掌教の制度を守っているのが特色で、済南の南大寺・北大寺では封建的としてやめてしまったが、ここでは、伊瑪目、海推布、穆安津が世襲されている。伊瑪目は男女一人ずつで金氏、海推布は馬氏、穆安津は周氏。
『金氏家譜』があり、日本の学者も持ち帰った。私は九世イマームだ。
青:三掌教は清真寺管理委員会を兼ねるのか。
金:その仕事はしない
青:あなたの名前を書いていただけますか。
金: 金鑫。
11:03 経を読むといって、アホンと三掌教が退出
11:30 戻ってくる
青:このあたりハッジはいますか。
金:あまりいない
金:ここは都市部に近いので、文化大革命の影響を大きく受けた。
青:先ほど出て行ったのは具体的には何をしにいったのですか。
金:亡くなった親の命日に経を詠むように依頼された。墓で読むこともあるが、今はラマダーンなので、家で読む。
大殿を見学
金:昔は匾額が三つあったが、文革で破壊された。奥の部分(前殿。三間)は明の弘治の建築で、手前(後殿。五間)が清の順治の建築。昔は前殿と後殿のあいだにミフラーブ型の入り口があった。前殿の左右に昔ながらの絵がある。向かって右側が文房四宝、左側が果物
青:アラビア語を唱えるときに、このミンバルを使いますか。
満:そうだ。漢語のときはミフラーブの前だ。
モスク前の壁について()四隅にアラビア文字あり
12:05ころ辞去







1 回儒の著作を指す。[Han()という中国語と[Kitab](本)というアラビア語の合成語。
2 「経学院」は「短期大学」級(カリキュラムによっては「大学」級)のイスラーム知識人養成期間。北京、蘭州、西寧、済南などにある。
3 投げ技を主体とした中国の武術・スポーツ。中国式レスリング、中国式相撲などと呼ばれる例もある。グラウンド(寝技)の攻防はない。
4 16世紀末に胡登州によって提唱されたイスラーム知識回復運動にしたがって形成された宗派、「清真古教」とも。かつてはタサウウフ(スーフィズム)文献を非常に重視した。
5 19世紀後半に聖地巡礼を果たした馬果園の創始した教派。それまでの中国のイスラームの宗派に比べて、イスラーム主義的な色彩が濃い。
6 元朝期に行政官として知られた在中国ムスリム、サイイド・アジャッル・シャムスッディーンを指す。その名の通り、ムハンマドの直系の子孫とされている。
7 中華民国期に設置された、イスラーム知識人養成の最高学府。

8 195060年代を中心に活躍した武術家。シュアイジァオを国家レベルのスポーツに認定させた立役者の一人(山東回民武術調査で後出)

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