2013年6月11日火曜日

2009年度 河南追跡調査、通州・済寧準備調査

2010年春 北京通州、山東済寧予備調査 調査メモ
2月26日〜3月8日
参加者:青木、黒岩(通州)、青木、黒岩、佐藤(開封、済寧)
任意参加者:石原(通州)



Ⅰ 通州予備調査

2010.02.27
 場所:通州清真寺(朝真寺) 所在地:北京市通州区清真寺胡同
 アクセス:地下鉄八号線通州北苑駅よりタクシー10分、徒歩40分。
 調査者:青木、黒岩、石原
 インフォーマント:六九歳(数え)男性 清真寺管理委員
通用門から入り、事務所で参観を願い出ると、インフォーマントが案内を申しでる。

礼拝殿前

 Q: ジュマーの時の礼拝者はどれくらいか?
 管: 500人〜600人くらいである。
   通常の夜の礼拝の場合、50〜60人で、老人ばかりである。
 沐浴室の横を通って女寺へ。
  Q:なし
 管:ここはムスリムの婦女が礼拝する場所である。男女が一緒に礼拝しないことには合理性があるが、女性の礼拝場所がないことには合理性がない。男女の区別はあるべきだが、信仰の前では平等である。アラブでは女性が礼拝する場所がないが、中国にはある。その点で中国の方が進んでいる(中国のムスリムの良い点である)。
 以前は城内の別の場所にあったが、文革で毀損され、今はこの清真寺に内設されている
  Q: 以前の場所とはどこか。
 管:…
 女性の沐浴所に案内される。
  Q: 我々が入ってもいいのか?
 管: 今はだれも入っていないので問題ない。
   沐浴には大浄と小浄がある。ジュマーの礼拝は大浄でなければならないが、普段は小浄でよい。
  Q: ミフラーブに戸(門戸)がつけられているのはなぜか?1
 管: 門扉がついているのは内装の工事の時に取り付けただけである。
   男性用沐浴室に案内される。
  Q: (扁額のアラブ書道をさして)これは誰が書いたのか?アホンか。
 管: 必ずしもアホンではない。こうした文字を書くには技術が必要だ。アホンには、学問があるが書法の技術がない。だから書法の技術があって宗教的な素養がある人に頼んでいる。2
  邦苦楼の扁額「万寿無疆」を示しつつ
 管: これは乾隆帝が揮毫したものである。なぜ、これが楼の東側にかけられているかわかるか?
 調:わからない。
 管: 西側は神に礼拝する方向である。皇帝は偉くても人間である。西側にかけてしまうと偶像崇拝になってしまうので、わざわざ東側にかけているのである。
 本殿に入る
 本殿両脇の椅子と机を不思議そうにみていると
 管:これは足の悪い老人たちのためにおいてある。跪かないで、椅子に座って礼拝できる。ムスリムは神の前では平等であって、神様は足の悪い人にも礼拝の機会を与えてくださる。足の悪い人は跪いて礼拝する必要はない。
  ミフラーブ前のドームについて
 管:中国のモスクは外観が中国風である。それは、政府の役人や皇帝がやってくるので、改めたのである。わづかにミフラーブ前のドーム天井と頃だけが、アラブ様式である。
 以前はここにたくさんのアラビア文字による装飾がなされていた。しかし文革の時にすべて削り落とされてしまった。今後、少しずつアラビア文字装飾を復活させていきたいと思っている。
 ミフラーブについて:この中は何もない空間である、内装を直すときに戸をつけた。
 ミンバル付属の杖について:この杖は本来、アッラーフがムハンマドに与えたもので、この杖は二つの意味がある。一つは布教の道具である。もう一つはイスラームを攻撃する人と戦う武器である。大きくもなるし、小さくもなる。
 本殿わきの倉庫内の監視カメラ・モニターについて。
 Q: 安全のためか? 
 管: そうだ。
  Q: 監視カメラはいくつあるのか?
 管: 建物の数だけある。
  Q: 十いくつか?
 管: 十二基だ。清真寺内の安全を確保するために設置している。
 影壁両脇の門について:これは左側から中に入って、右側外に出るのである。そのように決まっている。
 本殿のミナレットの西側に昔は望月楼があった。文革の際に毀損され、今では民家になってしまった。
 準備中の内接老人休息区(養老院:無料)について(規模は50m×70m程度か。要測量)
 Q:なし
 管: ここは80人〜100人くらいの世話する人のいない老人を住まわせることのできる場所である。食事や医療、生活の全般にわたって面倒を見ることができる。
 面倒を見る人が忙しいときに一時的にあずかることもできるし、ずっと住まわせることもできる。
 来年から老人の受け入れを始めたい。3
 学習班について
  Q: 
 管: アラビア語と宗教知識の学習を行う。アホン控え室?で行い、無料である。
  Q: ハリーファは何人いるのか?
 管: 12人。常勤のアホンは2人である。他に、礼拝の時にだけやってくる老人のアホンが数人いる。
 民族小学について
 Q:すぐ近くに回民小学があるようですが。
 管: 民族小学はもともとこの清真寺が設立したものである。その後、教育部に接収された。しかし、民族小学では宗教教育ができない。それを、再びこの清真寺の管轄に戻すべく運動している。(上(老人)にも下(幼少年)にも教育を施すことで宗教が発展するのである)。


張家湾清真寺
(調査日、調査者は通州に同じ)
 インフォーマント:郷老 70代前半か?

 Q:あなたはアホンか?
 A:ちがう、郷老である。
 Q:ジュマーの際の礼拝には何人ぐらいくるか。
  A:50〜60人である。いや、女寺の礼拝者がいるので、男女をあわせて120人くらいだ。

Ⅱ 山東済寧予備調査

2010.03.06
快晴
調査者 青木、黒岩、佐藤
場所:済宁(順河)東大寺
インフォーマント:王明璧(1969年生まれ)、男。娘(10歳)
場所:濟寧東大寺教長室

Q:山東ではなぜペルシア語を学ばなくなっていったのか。

王:以前はペルシア語がよく読まれていた。ゴレスターン、フサイニーなどはペルシア語で書かれていて、それらがよく読まれていた。
経学院の新式の教育では、アラビア語を重視するようになり、ペルシア語を学ばなくなった。
文革で経堂教育が断絶しペルシア語教育の伝統が途絶えた。
78年以降、アラビア語重視の教育に代わった。
エジプト、サウジアラビア、シリアへ留学する者が増えた。イラン、パキスタンに行く者は少ない。
中国にイスラームがやってくる経路は二つあり、水路と陸路。水路は広州や泉州から、陸路は西安から入ってくる。水路からはペルシア語が入ってきたが、時代が下るにつれて減っていった。

解放後、回族はムスリムであると規定された。
あとから民族を選ぶことになるので、ムスリムではない人が回族になる人が多くいた。
したがって回族に漢族の習慣が沢山入り込んでいる。
また族教合一のために漢族のイスラームにたいする抵抗感が生じた。
本来、イスラームはどのような民族にも開かれているはずだが、漢族はイスラームと関係がないと感じるようになった。

義烏には95%がアラブ諸国からの外国商人がいる。
そもため、もともと何もないところに中国政府が非常に大きくすばらしいモスクを建てた。

Q:この辺りにはどれくらいのムスリムがいますか?
王:濟寧には市中心部に2万1800人のムスリムがいる。近郊農村を含めると6万人いる。
ジュマーには7,80人。移住者が多く、たとえば蘭州ラーメンをやっているような西北からの人も含んでいる。

Q:濟寧にはジャマートはないのか。
王:回族だけが集まっている所はなく、漢族と混在して生活している。
柳行小区から越河両岸のあたりが、漢回が混住している地区である。

Q:濟寧にはキリスト教徒は多いのか。
王:回族より多いのは間違いない。
正式にはわからないが、10数万人ほどいる。
イスラームは中国の伝統文化だが、キリスト教はピアノを伴奏に歌を歌ったりという活動がある。

文革前には濟寧には9つ清真寺があった、そのうち女寺が二つ。
いまは3つしか残っていない。柳行西寺、清真女寺、東大寺の3つ。

Q:西大寺があったところはどこか。
王:とてもちかい。
西に100メートル、南に3,40メートルのところにあった。
西大寺は中国でもっとも敷地面積が広かった。
礼拝堂の高さは東大寺が中国一である。

Q:経学院ではどのくらい勉強したのか。
王:済南の経学院に4年いた。
卒業後、済南の西の農村にある清真寺で九ヶ月修行した。
その後濟寧の清真寺のアホンをずっとつとめている(12年)。
子供の頃、濟寧の南にある微山県のいとこ(大爺の老二、父の一番うえの兄の次男坊?)に(宗教知識を)習った。
高校卒業後、三年ほど地元のモスクでアラビア語を学習し、経学院に入学した。
経学院に入るには高卒後、1年以上モスクで修行しなければならない。

6人兄弟で上に三人兄がいて、自分は四番目。下に弟と妹がいる。
自分のまわりに学問のある人物はだれもいなかった。
兄弟では自分がいちばん学歴がある。

Q:どうしてアホンになろうと思ったのか。
王:いとこがアホンで、彼が帰省したおりにアラビア語やコーランに接した。
コーランは読めても意味がわからない(誰のことを言っているのか不明)。
経堂教育ではコーランを朗誦し、読んで意味はわかるが、アラビア語会話はできない。

Q:山東省のアホンはどこの人が多いのか。
王:大部分が山東の人間である。ちかくの河南出身の者も少々いる。臨夏や寧夏からくることはない。
外地のアホンは本地のムスリムと習慣が異なり、衝突がおきやすいから。
たとえば帽子は山東では白色だが、外地では模様や色がついていたりする。
そうした些細なことで衝突が起きたりする。

Q:移動しないのか。
王:普通は3年任期だが、失敗がなければそのままいる。
(自分の場合)10歳の娘の教育のため、濟寧から動きたくない。
山東省ではアホンはあまり移動しない。
河南省では比較的よく移動する。

Q:奥さんとはどこで知り合ったのか。
王:経学院を卒業後に修行をしていた農村で知り合った。
 
Q:何か運動(スポーツ)をやっていたことはないですか?
王:今は時間がないのでやっていないが中国武術をやっていた。
シュアイジャオ(摔跤)、バスケットなどをやっていた。(黒岩、目を輝かせる)

Q:どこでアラビア書道を学んだのか。
王:基本的に自習である。濟寧にきてからは河南の米広江などに習った。

Q:毛筆の書道はいつからあるのか。
王:昔からある。

Q:明代にもあったのか。
王:明清以来、毛筆のアラビア書道があった。
いや毛筆ではなくハケだ(やや曖昧)。

Q:毛筆で書かれたアラビア書道は多いのか。
王:あまりないはずだ。
アラブ諸国の人々は毛筆のアラビア書道を喜ぶので、世界の?書道大会に参加することがあればこの毛筆の書道で参加したい。

Q:あなたはどの書法家が好むか。
王:陳進恵は伝統的な書法にしたがっていて、のびのびとしている。規則に忠実で功夫がある。
馬石頭は規定にとらわれない。筆法に厚みがない。
米広江はエジプトに何年も留学して書法を学んできている。評価は高い。
陳坤は名手のなかで歳が若く、将来中国の書法界を担う人物である。
陳進恵と陳坤が影響を与えている。


付記:済宁東大寺でジュマー礼拝に参加したバングラディシュ人の中国ムスリム観
調査者:黒岩
インフォーマント:ムハンマド・モニール・ホセイン 貿易商(商品はリンゴ)

黒: 私は中国ムスリムの社会史を研究している。
ム:中国のムスリムの文化とたどってきた道はすばらしい。しかし現在の(中国の)ムスリムの文化はよくない。
黒:それはなぜか
 ム:中国には(本当の)ムスリムはいない。ほとんどいない。このコミュニティにしても、ジュマー礼拝に参加しているのは5、6人である。しかし、この辺りにムスリムはたくさんいるのだ。
 若いムスリムの中には、ビールを飲んだり、タトゥーを施したりしたりするものがいる。また、ハラール・レストランに行かず、何でも食べる奴もいる。知っての通りムスリムに豚はタブーだろう?
 ハラール・レストランをやっている中でもカリーマやタクビールが何かを知らない者もいる。子供がいるから、「自分の子供か?」と聞くとそうだというので、アラビア語を教えているかと聞くと、そうはしていないという。礼拝はしているかと聞くと、まったくしていないという。何なんだ?
黒:たしかに、ビールを飲んだり、豚を食べるムスリムが南方には稀にいると聞くが、西北部などではそうではないだろう。
ム:いや、私が言ったビールを飲んだり、豚を食べたりするのは、西安や甘肅(おそらく蘭州)でのことだ。ハラール料理店の話はここ(済宁)のことなんだ。
 だから、中国には「よいムスリム」はほとんどいない。もちろん、私の視点からという意味でだが。私がいう良いムスリムとは、イスラームの基本、五柱を学び、知り、それに従うことだ。至ってシンプルだ。しかし、中国のムスリムはそれをしないものばかりだ。彼らはムスリム名を持っているというだけでムスリムだと名乗っている。
 今の中国ムスリムの文化は、私の目から見ると中国文化そのものだ。
  思うに中国のムスリム文化がそうなってしまったのは、ロシアの圧力で(後にコミュニストと言い換える。)、の後は文革もあって90年のミッシングリンク?があるからだ。つまり、西のイスラームとの行き来が絶えている間に、サウジともオマーンとも、インドとも違う(変な)イスラームに変わってしまったのだ。
(王アホンが参加)
 王:英語での交流に問題はないか?
 黒:ないが、この客人は少し中国のイスラームを誤解…
 ム:中国のムスリムはコーランを学ばないし、ジュマーの礼拝にもあまり来
   ない。
 王:ジハードが必要だというんだろ?
 ム:いや、違う。ジハードは本来信仰を守るためにあるもので、自分の心の
   中にあるものだ。容易にジハードを口にし、戦いをジハードのように思  
   われてしまうのが問題だ!私が非ムスリムの友人たちと食を供にしてい
   る時、周りがビールを飲んでいても、それを私が断るのもジハードだ。
 王:確かにジュマーに数人しか礼拝に来ないのは問題だが、中国には文革時 
   代の宗教に断絶がある。今、戻りつつあるところなのだ。
 ←それにしても、蘭州や西安でビールを飲み、タトゥーを入れるムスリムが 
  いるとは。残念だ。
ム:私の視点では、中国のムスリムがそうなってしまったのは、欧米文化の悪い 
 面に影響されてしまったからなのだろう。
 しかし、ここのモスクの歴史は大変長いし、創設者の話を聞くとすごい人だ(常志美と舎蘊善を誤って教える。遺憾)。また、90年の断絶を考えると、王アホンはすばらしい。ムスリムの中のムスリムと言えるだろう。しかし、それを考えないとすれば、話は別だ(王アホンもすばらしいとはいえない、という意味)。






*1写真参照。
*2 方、左右の漢字の対聯については書き手がコミュニティの出身者の手になるものであるせいか、自慢げに紹介していた。内側は女性、外側は男性。
*3 建物は建設済みで、電気と水道を設置している最中であった。

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