2013年6月11日火曜日

2011年度 滄州回民コミュニティ調査

20122月 河北省滄州市調査 調査メモ
期間:2012219日~33
参加者:青木、黒岩、佐藤、中西
 

2012.02.20(月)
場所:滄州市清真北大寺教長室
(調査者 黒岩、中西)
インフォーマント:張健アホン(48歳、辰年)、廊坊生まれ

Q:滄州のムスリムについて概況を教えてください。
張:滄州は比較的ムスリムが集中している場所である。滄州の回族人口は23万人で、河北では56万人だから、半分は滄州に住んでいる。滄州は青県、孟村(ともうひとつ、聞き取れず)からなる。
滄州と廊坊は関係が緊密で、廊坊から滄州にやってくる若者はおおい。

Q:滄州のイスラームには何か特色のようなものがありますか?
張:滄州は経学1を重視している。
胡登洲の弟子に二人いて、そのうちの一人の海氏が滄州の海氏かどうか不明。くわしくは南大寺で聞きなさい。
私の先生は海宏清といい、彼に大厰で経学を習った。それは高校を卒業した1982年のことだ。南大寺のイマームも海氏で、海明豪という。父が海徳珍、おじいさんが海徳朋、曾祖父が海朝英という。彼等が海思福の子孫だ。
海氏は3つ系統があるが、同根で、ひとつは孟村の丁庄の海氏、もうひとつは大厰の海氏、そして滄州の海氏だ。
海南島に官僚としていった海瑞がいる(関係は不明)。
河南(湖南?)にいった海氏もいる。(要確認)

Q:滄州の経堂教育はどの派に属していますか?
張:我々は山東派である。

中西:山東派ならペルシア語を学んだのか。
張:年配の人はよくできるが、私は劣る。
ちなみに海朝英は武術の名手でもあり、査華門だ。滄州のアホンはみんなやっていて、50歳以上の者はみな武術が得意で、40歳以下の者もだいたいできる。みな10歳頃から武術を習う。

黒岩:あなたはできるのか。
張:私はそれほどではない。

Q:よろしければ、これまでの経歴をお聞かせください。
82年に高校卒業後に大厰で経学を学んだ。先生は海宏清。89年に馬振武に学ぶ。91年に東寺でアホンをはじめて勤め、文革で壊されたモスクを修理した。01年から02年(もしくは02年から03年)に広河県で勉強をした。そのときの先生は経学院出身である。だが自分は経堂教育を受けてきた。06年に大褚村モスクでアホンを勤め、08年からここ北大寺でアホンをやっている。

黒岩:あなたはどうしてアホンになろうとしたのか。
張:当初、先生について学んでいたときは、イスラームのことを知りたいだけであったが、途中から本気になった。


2012.02.22(水)
孟村回族自治県城区
民族街のムスリム用品店
(調査者:黒岩、中西)
インフォーマント:店主・劉同元

中西:これらの本は西北から来たのか?
劉:北京や天津からだ。大量に出版されるが、うちで必要なのは少しなので、いろんなところから少しずつ買うのだ。

黒:西北人は孟村にもいるのか?
劉:少しいる。

黒:(ここにある)馬天民『礼拝封斎問答』はその人たちが読むのか?
劉:そういうこともある。
劉:この辺には外国人がくるが、私が会った中では日本人ははじめてだ。

Q:どこの人が来るのか。
劉:パキスタン人、それからイラン人。

Q:何しにくるのか?
劉:水道の接続パーツを買いに来る。
劉:お前らはムスリムか。
A調査者:ちがう。

劉:お前らは中国ムスリム文化を研究しているのか。
A調査者:そうだ。

劉:ここはムスリムが集住しているところで、信仰が盛んである。
A調査者:うなづく。

劉:広州や上海にもムスリムはいるが、集まっておらず、信仰が本当ではない(不誠)。近隣の県と比べても、ここはムスリムが多い。

黒:では、この辺のジャマーアトのムスリム人口はどれくらいか?
劉:私にはよく分らない。
劉:私はもともとイマームだった。
Q:では、アホンなんですね。
劉:そうだ。アホンの一部分には、アホンが多すぎるので、他の商売を始める人がいる。清真寺の教長は一人だが、アホンの数は清真寺の数より多い。一部の人はほかの職業で生計をたてるのだ。

Q:あなたも機会があれば、教長になるかもしれないのですね。
劉:機会があればね。

黒:あなたはアラビア語やイスラーム知識をどこで学んだのか?
劉:私がやったのはイスラームの基礎。こういうの(アラビア語会話基礎の教科書)はやってない。私がやったのはこれ(アサース・アル=ウルーム)。

Q:ほかに何を学んだか。フィクフ(イスラーム法学)とか?
劉:フィクフやった。(シャルフ・ウィカーヤを示す)
Q:カラーム(認主学)も?
劉:やった。
Q:タサウウフ(スーフィズム)も?
劉:やった(アル・ルウルウ・ワ・アル=マルジャーン聖訓珠機を示す)
劉:経学院ではアラビア語会話を教えるが、私は清真寺で勉強したので、アラビア語の文法学しかやっていない。本は読める。
Q:経堂教育なのですねね。
劉:そう。
Q中西:経学院は河北にもありますか?
劉:河北にはない。
中西:経学院に行きたい人はどうするのですか?
劉:北京、河南、山東、寧夏にいくが、あまり多くはない。

Q:あなたはどこの清真寺で学んだのか?
劉:三か所だ。
Q:それはどこか?
劉:天津の天穆村清真寺、次が張家湾清真寺(北京東郊)、三つめは張家口。あ、それから四つ目があって、それはここ孟村。

Q:なぜそんなにいろんなとこにいったのか?
劉:よりよい師をもとめて行った。
黒:師匠について各地をめぐったのか?
劉:師匠にはついていかない。
Q:では、なぜ移動したのか?
劉:アホンの任期が三年で、師匠は別地に移ったからだ。アホンは土地のムスリムが望まなければよそに行くし、他から招へいされて移ることもある。
Q:あなたは一緒に行かなかったのですね?
劉:そうだ。アホンと一緒にいってもいいし、行かなくてもいいのだ。


孟村丁庄子清真寺手前三十メートルで遭遇した老人に招待される。
調査者:黒岩、中西
インフォーマント:張洪良(ジャフリーヤ)

張:資料があるからついておいで。雲南には行ったことある?
Q:ある、ある。
張:雲南にはすごい人がいて、その人の書いたものが家にある。
(自宅に移動)
張:(写真を見せながら)この人がその雲南の偉いシャイフである(シャイフといっていたがライースか?)。見よ、後光がさしているだろ?この人は、いろんな言語ができる。アラビ語、ペルシア語、そして日本語も。このお方は今は昆明に住んでいて、私は思茅拱北で会った。
中西:他郎拱北?
張:そうそう。

Q:あなたジャフリーヤですね?
張:そうだ。
張:シャイフの名は馬玉杜。経名はシャムス・アル=イスラーム、道号はムハンマド・ハビーブ・アリーム。(餅子を持った自分の写真を見せて)これは私だが、餅子の焼き目がアッラーの文字となっているだろ?これは自然についた焼き目だ。これはシャイフの奇跡だ。
シャイフの奇跡はほかにもある。
ある韓国人のキリスト教徒は、シャイフに感化されてイスラームに改宗しようとしたところ、両親が反対した。しかしシャイフが医術に通じていて、知識を披露すると感動し、子供の改宗に同意した。
ある大学受験生は二年の浪人ののち、シャイフに相談したところ、志望専攻を医学にしてみなさいと勧められた。しかしまた受験に失敗したので、シャイフがぷいっと息(つば?)をはきかけてやると、大学に受かった。
奇跡には五大奇跡というものがある。
一つは雨の量を予言すること。科学が発達して天気予報はできるようになったが、雨の量までは分らない。シャイフは雨がいつ降るかだけでなく、雨の量まで分るのだ。
二つ目はお腹の中のことを予言すること。
中西:何時出産するかどうかか?
張:それに加えて、男女の別も分る。
三つめは…、…(不明)
四つ目は死期がわかる。ある共産党の幹部に、シャイフが8341(数字は正確なところは記憶があいまい)という数字を示した。その幹部は83歳、41日に亡くなった。
(ムハンマド・ハビーブ・アリーム整理の『聖伝真道』を示し)ここにもいろいろ書いている。
シャイフは、アラビア語やペルシア語にとても堪能で、通常それらを漢語に翻訳するのは大変だが、彼はとてもぶあついペルシア語の本を五時間で翻訳した。それを私は見た。また、携帯電話くらいの厚さの本を一分で翻訳した。
雲南に行ったら、シャイフのムリード、馬維奎と馬文明に連絡してシャイフに会うといい。二人の携帯番号も教えてやろう。


孟村丁庄子清真寺
(調査者:黒岩、中西)
インフォーマント:4人のハリーファ

ハ:何をしにきたのだ?
A調査者:我々は海思福アホンの蔵書がどうなったか調べにきた。
ハ:それらは文革のときに焼けた。滄州の南大寺に行ったか?あそこのアホンは海思福の後裔だから、おれたちよりよく知っているはずだ。孟村の南寺のアホンも海思福の後裔だから、彼にも聞いてみたらいい。彼の父も祖父も曾祖父もみんなアホンだから、いろいろよく知っているぞ。

黒:あなたたちは当地人ですか?
ハ:ちがう。私は南皮で、こいつは「liaodong」(聊東か?)、ええと、済南だ。向こうの二人も同じ済南。

中西:済南ということは、南大寺の金アホンは知っている?
ハ:書法アホンでしょ?知っている。Q中西:金アホンの書法は有名なのですね。
ハ:有名だ。

黒:あなたたちは済南ということは、シュワイジャオをやっていますか。武術ですが。
ハ:やっている。彼は一位になったことがある。シュワイジャオではなくて武術の対打だけど。
黒:査拳かな?
ハ:ん?そうだ、査拳だ。師匠は創始者?の楊鴻修?の流れで、有名だ。日本からも大島一郎?とういう日本人が習いに来ている。
別のハ:彼は対打の大会で一位になった。型を見せてやれよ。
ハ:ええ?いいよ、いいよ。

2012.02.25(土)
場所:孟村回族自治県清真南大寺教長室
(調査者:黒岩、中西)
インフォーマント:張アホン(50歳)、相茂林(マンラー、山東省冠県店子郷里七甲村出身、M1、27歳)、M224歳)

問:あなたたちはマンラーか。
答(マンラー1):そうだ。

Q:本地の人か。
答(M1):マンラーは本地の者もいるが、他地域から来ている者もいる。蘭州、銀川、山東、東北、内モンゴルなどで、8人いる。

Q:あなたはどこの出身か。
答(M1):山東の聊東(冠県)だ。

Q:あなたたちは何を勉強しているか。
答:教法だ。

Q:アラビア語の語法は終わったのか。
答:終わった。あれは基礎知識だ。

QM1):日本は好戦的な人間が多いか。
答:少ない。

M1:日本は人権があるだろう?
日:ある。
M1:中国には人権がない。

M1:ところで、日本には今でも皇帝がいるだろう。
日:天皇のことか?
M1:そうだ。彼が国家主席なのか?
日:いや、彼は象徴であって、なんら政治的発言をしない。
M1:では誰が国家主席なのか。
日:総理大臣がそれにあたるだろう。
M1:でも、日本の総理大臣はコロコロ変わるじゃないか。とても名前が覚えられない。
日:面目ない。

Q:いつごろからイスラムの勉強をはじめたのか。
答(M2):中卒、高卒後にはじめている。全部で九冊を勉強して卒業することになる。卒業してアホンになる。あと2,3冊で卒業だ。

QM2):お前らは武術ができるか。
QM2):柔道なんかがあるだろう?できるか?
隊員一同:(黒岩を指しつつ)彼ができる。
黒:少しだ。柔道もできるよ。

黒:貴方たちはどんな武術を学んだのか。
答(M1):私は八極拳を学んだ。(M2を指しつつ)彼はシュワイジァオだ。
黒:何派の八極拳か?孟村の?それとも滄州の?
答(M1):孟村開門八極だ。孟村には呉連枝という有名な先生がいる。
黒:『滄州回族』の呉連枝の写真を示しながら、この人でしょ?
答(M1):そうだ。彼はもう60歳だが、自分の武術館を開いている。
黒:彼は日本でも有名だよ。
答(M1):日本で八極をやってる者がたくさん来る。
黒:彼の功夫はすごい()でしょう?
答(M1):う〜ん。彼の父親はすごい。
答(M2):そうそう。
黒:呉会清だっけ?
答(M2):う〜ん、ちがうんじゃないかな。あっ、呉秀峰だ。
黒:あっ、そうだった。

QM1):(黒岩を指しつつ)お前は何を学んだの?
黒:空手をやった後、柔道をやり、その後陳氏太極、形意拳を学んだ。
QM1):回族の心意拳か?
黒:ちがうよ。漢族の形意拳。貴方たちのは心意六合拳でしょ?
QM1):そうだ、心意六合拳だ。
QM1):お前、打てる?
黒:もうおじさんだから(我已経老老的)、あんまり期待しないでね。散打かな?推手かな?

黒:(M1に対して)貴方は山東出身だけど、査拳は学んだの?
答(M1):もちろん学んだ。聊東は査拳が盛んなんだ。
黒:聊東ってどこですか?
答(M1):冠県だ?
黒:ああ、冠県か。(『済南回族武術』記載の楊鴻修の記述を示しながら)この人が始祖の一人でしょ?
答(M1):うーんと。そうそう、楊鴻修だ。オレの住所はこれだ。冠県に行くときは連絡しろよな。
(アホンが参加する)

Q:どこの出身か。
張:東北の黒龍江省だ。両親は孟村出身で、彼等が年老いたので戻ってきた。

Q:なぜ両親は黒龍江省にいったのか。
張:毛沢東の時代に、東北三省に移された。

Q:どこで勉強したのか。
張:今から20年前の30歳のとき(すでに結婚していた)に勉強をはじめ、河北省の大厰県に1年、保定、その後、山東など。自分で選んで学びに行った。先生(どこの?)は北京の牛街の劉アホンだ。

Q:どのような基準で学ぶ場を選ぶのか。
張:清真寺は沢山あるが、コーランは一冊だけだ。だからどこに行ってもかまわない。

Q:学ぶ場は中央が干渉するのか。
張:今は信仰は自由で、どんな宗教でも信仰することができる。中央はアホン証を発行するだけだから、干渉しない。

Q:子供はいるか。
張:二人いる。21歳と24歳(ぐらい)だ。自分は9人兄弟で、自分が三男で、アホンになったのが四人いて、三男、四男、五男、六男がなった。

Q:海思福アホンが蔵書を三百冊ほど持っていたと聞いているが、それはどうなったのか。
張:文革ですべてなくなってしまった。

Q:隠したりはしていないのか。
張:知らない。

2012.02.26(日) 
1100
場所:孟村回族自治県郊外丁庄子海明光宅
(調査者:青木、黒岩、中西)
インフォーマント:海明光アホン(78歳)

Q:海思福の蔵書はどうなったのか。
答:文革で全部焼けた。ただし一部経だけがのこった。

Q:それはタフシール・ザーヒリーではないか。
海:そのとおり。

Q:海思福アホンは、それらをどうやって手に入れたのか。
海:私が推察するに、エジプト人が携えて持ってきたのだろう。

Q:それは天津で貿易をしたわけではないのか。
海:アラブ人達はモスクにたまたまきて、彼等は宗教にしか関心がなく、礼拝にきたのだ。彼等は商人ではない。ただ、私は5代目の孫なので、よくわからない。

Q:あなたは海朝英の孫か。
海:彼は三男坊で、私の父は長男だ。

Q:名前はなんですか。
海:海朝賢だ。海朝英の孫は海明豪で、私は彼の兄だ(族兄の意か?)。海明豪の父が海徳真だ。この三人はみなアホンで、私もアホンだ。ただし私のおじいさんと、お父さんはアホンではない。海朝英の兄(次男)、海朝良もアホンだ。

Q:海思福の経書の継承は海朝英、海徳真、海明豪が受けついだのか。
海:そうだ。いまは海明豪が守っているのだ。

Q:あなたはいつアホンになったか。
海:80年代で、40歳ごろだ。

Q:どこでアホンをしたのか。
海:黄驊県などでやった。

 「孟村海」は河北の経堂教育の名流であり、その始祖は海四爺(起龍)である。海四爺は孟村丁庄子で海家を興した海立南の四男である。海四爺の子である海思福は著名な経学者かつ蔵書家で、王静斎、楊仲明などの師でである。海思福には二人息子があり、長男を宏〓といい、次男を宏源という。宏〓の子、朝賢、朝良、朝英と宏源の子朝瑞、及びその子孫にはアホンが数多く出ており、現在、8代目である。


1540
場所:滄州市南大清真寺アホン庁
(調査者:青木、佐藤、中西)
インフォーマント:海明豪(43歳)

Q:海思福アホンの蔵書はどうなったのか。
答:文革のときに、馬車4台で全部持って行かれた。武器なども取られた。

Q:しかし一部経が残ったと聞くが、それはどうなったのか。
海:1988年頃に孟村案局から連絡があり、海思福は君たちの祖先であるかという照会をうけ、案でないものを保管しているので、取りに来るようにいわれた。それがザーヒリーだ。戻ってきたザーヒリーは、たて40センチ、たて30センチ、厚さこれくらい(10センチほどを指で示す)で、四冊あった。それは海思福アホンの手写本であり、最後の頁にドゥアーが書いてあった。そのドゥアーは「真主よ、この経典を水禍や災害から保護したまえ」とあった。それを見て、これぞ真主の加護であると思った。

Q:なぜザーヒリーだけが残ったのか。
海:わからない。

Q:海思福はそれら300種の経書をどのようにして入手したのか。
海:私たちの祖先は天津でアホンをやっていて、天津は当時、港があって、海路から物が入ってくるところだったので、印刷された経書は入手できた。だが、中国人は手写本を好む。というのも、手写によって字間を広くとって、そこに注釈を書き込めるからだ。
注釈とは主語、目的語といった品詞などだ。また印刷したものよりも、手写にしたほうが文字が見やすくなる。

実物をみせてもらう

Q:これは毛筆で書いたのか。
海:違う。竹ペンで書くのだ。小さい文字は補足削ってかく。毛筆ではこのような小さい文字はかけない。

Q:海氏一族に専門はあるのか。
海:とくに専門はない。知識の多さがQ題なのではない。

Q:経堂教育でアラビア語や宗教知識を学んだのか。
海:そうだ。父について学んだ(先生は父のみ)。12年学んだ。14歳から26歳までだ。

Q:タサウウフを勉強するのか。
海:タサウウフは中国経堂教育の一部分だが、理解力(悟性)にすぐれた者が勉強する。大衆的な理解に供するものではない。しっかりとした基礎の上に認主すべきである。あの手の知識はひとつを動かすとガラガラと崩れ落ちるので、大衆的に広める知識ではない。大衆的に広めると必ず誤ってしまう。

Q:ということは、学ぶべきではないのか。
海:そういうわけではないが、悟性に秀でた者が学ぶべきで、学ぶ者を選ぶものだ。先生が学生をどのように見るかによる。悟性が優れていると判断すれば、学ばせる。悟性の空間が広ければ学ばせる。コンピュータのようなものだ。頭の中の空間がたりなければ処理できない。教法はそうではなくて、実物があって、これはよい、これはだめということで簡単だ。

Q:『天方性理』を勉強しているが、いまの経堂教育ではどうか。
海:参考書として用いている。その「文化」を学ぶべきだ。

Q:ペルシア語の勉強をする人は多いですか。
海:うちではみな勉強する。経堂教育では阿語もペルシア語も学ぶべきだ。

Q:マンラーはどのくらいいるのか。
海:9人いる。最初にアラビア語を勉強し、それからペルシア語を学ぶ。まだペルシア語を学んでいない者もいる。アラビア語が主で、ペルシア語は副だ。もし一度に勉強したら(不明)

Q:ペルシア語を勉強して、どのような本を読むのか。
海:ハワーイ、フトゥブ、ミルサード、ラマート、フサイニー。

Q:マクトゥーバートは。
海:参考書だ。

Q:お父さんが病気だそうですが。
海:入院しているわけではなくて、家で休んでいます。

Q:海氏はもともと、どこの出身だ。
海:最初は北京付近の大厰県、その前は海南島だ。

Q:海瑞は祖先か。
海:それはわからない。

Q:胡登洲の弟子の海はあなたの先祖ですか。
海:関係はわからない。

Q:大厰県のあたりには親戚がいるか。
海:だいぶ前のことだからもういない。




2012.02.27(月)
場所:滄州北大寺
時間:15:0016:00
インフォーマント:北大寺○アホン、劉郷老
調査者:青木、黒岩
Q:毎日、礼拝者は何人ありますか、金曜礼拝に何人来ますか。
A:日常的に3040人の礼拝者がある。金曜礼拝は200人あまり。南大寺の金曜礼拝は300400人あまりで、礼拝者の数はモスクによって異なる。
Q:昨日はマウリド(ムハンマドの生誕記念祭)ですね。
A:昨日の日曜日は、南大寺でマウリドを行った。北大寺は気候が暖かくなってからやる。マウリドは、イスラム暦3月の3日から14日までの間に行う。決まった日にやらなければならないということはない。その間ならいつおこなってもかまわないので、モスクによってマウリドの日が異なる。河北省のこの一帯では、とても重要な宗教活動である。
Q:中国のモスクの建築様式には、中東様式と中国伝統様式とがあるが、あなたはどちらが好きですか。
A:わたしはやはり伝統様式が好きだ。
Q:モスクを新築するとき、誰がモスクの建築様式を決めるのですか。
A:みんなで協議して決める。モスクの建築様式について提案があれば、ムスリム社会で討論して決める。しかし、伝統様式のモスクは、特殊な技術が必要なので、熟練した職人を探すのがとても大変だし、工期も長くかかってしまう。それに対して、中東様式のモスクを建てるのはずっと簡単だし、建物も広くて明るい。それに、改革開放以降は、外国から外国の文物がたくさん入ってきて、みんなの意識が次第に中東様式に慣れてきたというこ
ともある。
Q:伝統様式のモスクの建築費用は、中東様式のモスクんの建築費用より高くつくということですが、だいたい何倍くらいでしょう。
A:それはわたしにはわからない。伝統様式のモスクは細工が細かい。たとえば、レンガ一つとっても、いまは赤いレンガを使うのが一般的だが、伝統様式のモスクを建てるときは青レンガ(青轉)を用いる。用途によって、違うレンガを用い、置く場所も違う。(ここで郷老の劉老人参加、張アホンが劉老人に建築費用の違いについて尋ねる)伝統様式に用いる瑠璃瓦は、いま一般に用いる瓦の数倍以上の費用がかかる。普通の工人を雇うのに、昔は20元だったのが、今では130元にも昇っている。熟練工の場合は、250元から350元もとる。したがって、木造の大殿の建築コストは、コンクリート造りの大殿に比べ、数倍以上の差がつく。
Q:いまの建物はいつ建てられたのですか。
Aもうすぐ6年になる。(当モスクのパンフを手渡しながら)このモスクは、明朝にはじまった。(ここで劉老人退出。)
Q:いまの劉老人は郷老ですか。
A:そうだ。このモスクの建築を仕切った人だ。
Q:道理で詳しいと思った。
A:えへへへへ。
Q:ところで、南大寺には武術班がないそうですが、北大寺には武術班があるか。
A:北大寺には武術班が一つある。しかし、まだできたばかりで、具体的な活動はしていない。以前からあったけれども、文革で途切れて、復活した。うちに武術の刀や槍があるので、あとでご覧に入れよう。まだ表立った活動はしていないけれど。武術館の館長は、滄州回族武術協会の李某で…。
Q:それでは今現在も、武術班はないのですね?
A:今はない。一般に滄州の武術は民間のものであり、主要なものとして六合門、滑脚門、査華門(査拳)、八極門、通背門がある。
Q:通背門があるのですか?
A:ある。ああ、多くは漢人がやる。ムスリムが多くやるのは、六合門、査拳、八極門、滑脚門だ。


2012.02.27(月)
 場所:建国清真寺(河北省州市新区南底、民族路入り口近くの南裏側)。
 調査者:青木、黒岩
 日常的に4050人が礼拝に来る、男性が30人ぐらい。昨年、両アホンと郷老の三人でマッカ巡礼を果たしている。
インフォーマント
 刁アホン、男性、30歳、河南省許昌市出身、河南省伊斯蘭経学院(鄭州)卒業。同郷人の奥さんとの間に、男の子二人をもうけている。高校卒業後、半年ほど近所の清真寺でアラビア語を学び、伊斯蘭経学学院2年次に編入し、2年学んだ。卒業後、ほかのアラビア語学校で数ヶ月学んだ。それから、経学院で2年間アラビア語の先生をした。その後、広州で一年間、友人の会社のアラビア語通訳をして働いてから、24歳のときに建国清真寺のアホン職についた。
 石アホン、男性、37歳、河北省本斎村銭庄出身。奥さんは、小学校の同級生。子供二人あり。中学卒業後、16歳から本斎清真寺でアラビア語の勉強を始める。6ヶ月学んだところで、先生についていたアホンの転任にともない、青県の清真寺に移り、そこで2年間アラビア語を学んだ。その後また、先生アホンの転任にともない、滄州車站清真寺で3年弱アラビア語をり学んだ。それから、青県の清真寺にアホンとして赴任して、4年弱いた。青県の清真寺にいた間に、数ヶ月ほど、蘭州の経学院でアラビア語研修を受けた。その次に来たのが、この清真寺である。

セクション1
 Q:あなたもアホンなのか?
 刁:そうだ。
 Q:彼もアホンでしょう?このモスクには二人アホンがいるのか?
 刁:そうだ。
 Q:では、教長はどちらなのでしょう?
 刁:彼でもあるし、わたしでもある。
 Q:え?そんなことがあり得るのですか?
 刁:あり得る。このモスクは仕事が多く、独りでは捌ききれない。礼拝や宗務のほかに学習班が三つもある。若い人たちから年配の人たちまでだ。年配の人たちは比較的(特に?)多い。24歳のときここにアホンとして来たが、独りでは到底無理なので、2年後に郷老たちが(石を指しつつ)彼を呼んだ。
 Q:二人のアホン(ここでは教長の意)がいる寺は珍しいのではないのですか?
 石:多くはないが、ある。西安や北京の大きなモスクでは、アホンが十数人いるじゃないか。

セクション2
 Q:では、あなたは経学院出身なのですね。経堂教育出身のアホンと経学院出身のアホンの違いについて教えてください。
 刁:得意な分野が異なっている。経堂教育出身のアホンは、クルアーンを朗誦したり、解説をするのがうまいし、ハディースなどの深いイスラーム知識がある。経学院出身のアホンは、実用的なアラビア語の教授にすぐれている。そのため、コミュニティの人々のうち、老人たちは経堂教育出身のアホンを好み、40歳以下の若者は経学院出身のアホンを好む傾向がある。
 石:経堂教育は伝統的なモデルなので、現代の社会の需要を満たしていない。経堂教育を受ける若者の数がどんどん減っている。いまどき、経堂教育を受けてアホンになろうとする人はもう存在しない。経堂教育出身のアホンは近い将来、絶滅するだろう。
 刁:経堂教育の場合は、アホンになるまでに十数年もの長い時間かけて勉強しなければならない。若い人がイスラームを勉強しようと思ったら、アラビア語学校や経学院に入って勉強する。とりわけ経学院は、系統的にイスラームを勉強できるし、アラビア語はもちろん、英語やコンピュータなど広く勉強できる。経堂教育の場合は、コーランが読めても、アラビア語の会話はできない。経学院では、宗教知識だけでなく、経済や貿易の勉強もできる。経学院を卒業した人はどんな職業につくかというと、だいたい次の4つだ。1つめはアホン、2つめに通訳、3つめにアラビア語の先生、4つ目に海外留学や海外でする仕事だ。






1 イスラーム学、経典研究を指す。

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