2013年6月12日水曜日

森本一夫(研究分担者)「河南省と甘粛省に聖裔を求めて」

河南省と甘粛省に聖裔を求めて
森本一夫

はじめに
 私は、2009年夏の河南省調査(開封、朱仙鎮、鄭州)と2012年夏の甘粛省調査(臨夏、東郷、蘭州)に参加した。両調査における私の主たる担当は、アラビア語とペルシア語で書かれた碑文の読解であった1。また、多少なりともイスラーム教の「御本地」を歩いてきた経験を活かし、中国イスラームの専門家が当然のこととして見過ごしがちな興味深い事象に遭遇した場合にそれを指摘することも、私に期待されていた役割であったように思う。そして、実際に調査に行ってみると意外と意味を持ったのが、とてもアラブ人との会話には使えない私の教科書的アラビア語会話であった。清真寺で誰かに何かを質問してみようというような際、私が(実は真似事のようなものに過ぎない)アラビア語を口にしてみせることには、相手のより真剣な対応を引き出すという点で一定の効果があったように思う2
 とはいえ、両方の調査旅行での私の学問的な収支が圧倒的に入超であったことは否めない。専門家である同僚たちは、門外漢である私の無知を面白がってか哀れんでか、実に丁寧に様々なことを教えてくれたし、現地の方々に対する私の的外れな質問も、厭わず中国語に訳してくれた。特に、私が自分の主たる興味の対象である「聖裔」(ムハンマド一族;中東などでは「サイイド」や「シャリーフ」などの称号を帯びることが多い)について繰り返し同じような質問をするのに付き合っていただいたのは恐縮であった。以下、調査旅行の間に得ることができた聖裔関係の情報を簡単に整理しておきたい。

開封・朱仙鎮に聖裔はいない
 私はムハンマド一族を研究することの必要性を強調する際に、彼らはムスリムのいるところならばどこにでもいる、という物言いをすることが少なくない。しかし、聖裔の存否に関する質問への開封と朱仙鎮の人々の回答は、このような発言はやや大げさに過ぎることを示すものであった。調査団メンバーによる「ここにムハンマド一族はいるか」という質問に対する3人の方の答えは、判を押したように、否定的なものだったのである。
 
開封善義堂清真寺での「青年(管理委員の人か)」(39歳)とのやりとり。
Q:サイイド(といっても通じなかったので「聖裔」と言い直す)はいるか。
A:答えにくい。中国にはいるが、起源が古いので、いると明確に言うのはむずかしい。

開封北大寺での姚鴻賓さん(74歳;社区の責任者、モスクの実務責任者)とのやりとり。
Q:開封にサイイドはいるか。
A:いない。西にはいるが。

朱仙鎮清真北寺での劉学強さん(36歳;アホン)とのやりとり。
Q:サイイドはいるか。
A:中国にはシーア派はいない。サイイドは門宦にはいるが、東にはいない。

 開封での存否については必ずしも明言していない善義堂清真寺の青年を含め、3人が3人とも明らかに「ここに聖裔はいない」と認識していたのである3。ただし、これら3人の全員が聖裔の存否を問う当方の質問を理解しただけでなく、中国全体に視野を拡げれば確かにそうした人々がいる、あるいは、西にはいるが東にはいない、と述べたことは注目されて良い。身近にはいないにしても、聖裔という存在自体は知られていることが分かる。また、善義堂の青年の発言は、聖裔がいるかという当方の質問を、本物の聖裔がいるかという質問と誤解した上で、聖裔を称する人々の血統を必ずしも信頼している訳ではないことを示したものであり、興味深い。特に、起源が古いので判断がつかないという理由づけは、起源が古ければ古いほど尊び真正視するという伝統主義的とでも呼ぶべき立場とは明らかにアプローチを異にしている点で面白い。何気ない発言であったろうとは思うが、どこか近代的な進歩史観の影響を感じさせるものであるように感じた。最後に、劉アホンの発言についてであるが、アホンは確かに最初、聖裔に関する質問に対して、それをシーア派と結びつける回答を行った。話題が(別にシーア派ではない)門宦に跳ぶに当たっては、私自身による、聖裔は別にシーア派だけではないのではないか、というような介入があったように記憶している。

甘粛省には聖裔がいる
 河南省では不発に終わった私の聖裔探しも甘粛省では報われるであろうことは出発前から聞かされていた。また、西北の門宦教主の家系に預言者の血統を称するものが多く存在することは、(さすがの)私もそれまでに知るようになっていた。したがって、聖裔探訪の目標は、聖裔を見いだせるかどうかにではなく、聖裔関係でどれだけ面白い話を聞くことができるかにあった。以下は甘粛省での記録である。
 我々の臨夏訪問は、たまたまその時期が祁明德氏没後40日目と重なったことから、ご遺族により参加を許された追悼儀礼への参加をその目玉とすることになった。祁一家を核とする門宦の宗教儀礼や、儀礼の場を利用した(我々外国人研究者に対するものも含めた)門宦の宣伝・外交のあり方を、近くから観察できたのは幸いであった。
 したがって、明德清真寺関係の聴き取りと参与観察の場では、聖裔の話はごくごく周縁的な意味合いしか持たなかったのではあるが、かといってその線での質問などをしなかった訳ではない。まず市外の明德拱北を訪問した際に、拱北の中の壁にカルバラーの黄金のドームを写した写真が飾ってあるのを見つけてその意味合いを質問した機会を掴んで、我々が「優秀マンラー」という渾名をつけた弟子筋の人物に、祁一家が聖裔であるのかどうかを尋ねてみた4。彼の答えは、ムハンマドの一族であるというものだったが、それに続けて行った系図の存否についての質問に対する彼の答えや行動は、はなはだ要領を欠いたものであり、結局のところ、道統を記録したものはあるが、系図はないというのが回答であったように思われる。もしかすると彼は、端から血統についての私の質問を道統についてのものと誤解していたのかもしれない。
 祁一家の血統については、その後、祁明德氏の4男である祁忠良氏、そして祁姓ではあるものの祁明德氏との血縁関係はかなり遠い5祁宗承氏にも質問した。二人の返答は、ともに聖裔ではないというものであった。そして、この二人とのやりとりに関しては、こちらの意図を理解してもらえたという確信がある。以上から、祁一家は、「優秀マンラー」氏の最初の返答に反して、ムハンマド一族の血統は称していないと考えるのが妥当であろう。祁一族に関しては、聖裔探訪としては実は空振りだったのである。
 なお、祁宗承氏は、イスラマバードの国際イスラーム大学でアラビア語・アラビア文学を勉強しており、引き続きパキスタンで修士課程をも修めるつもりであるという人物であった。私と会話するのに程よい程度のアラビア語、しかも正則アラビア語を話すので、彼も喜び、ずいぶん熱心に色々なことを教えてくれた。話の内容は主としてワッハーブ派批判とスーフィズム擁護であったが、私が聖裔に関心を持っていることを踏まえ、以下のような話も聞かせてくれた。

ヒダーヤトゥッラーという人6が、子供ができずに(あるいは結婚する度に妻が死んでしまい?)困っていた。別のどこかの場所に(東の方の具体的な地名を言った気がする)サイイドがいるというので会いに行き、そのことを相談した。サイイドは、自分には子供ができることになっているからその子をあげると言って、ヒダーヤトゥッラーの背中を自分の背中と触れさせて、それで子供を譲ってやった。ヒダーヤトゥッラーは自分の町に帰ってついに子供を得た。それゆえ、ヒダーヤトゥッラーの子孫は預言者の子孫として知られている。

 私の聖裔探訪がついに実を結んだのは、東郷族自治県に本拠を置く大湾頭クブリーヤの教主のご子息、張開吉教長との面会においてであった。張教長はイランに留学され、テヘラン大学神学部で学ばれた方なので、ペルシア語で十全に意思の疎通ができたこともあり、色々と話を聴くことができた。シーア派のイランで勉強するのに困難はなかったかという私の質問に対し、「シーア派は、最初の二人の正統カリフ(シャイハイン)は否定するかもしれないがアリーは尊敬している。それゆえ、シャイハインもアリーも尊敬する自分にとっては、イフワーン派と親しむよりも親しみ易い」という面白い発言が出たりして、興味の尽きるところがなかった。
 張家は聖裔の一族であり、カーディリーヤの名祖であるアブドゥルカーディル・ジーラーニーの子孫を称している。張教長は、クブリーヤの由来と張家の血統とを、まとめて以下のように説明して下さった。
 
アブドゥルカーディル・ジーラーニーは、奇跡(karamat)によって3度中国に現れた。最初に現れた時はフフィーヤを創設、次に現れた時はジャフリーヤを創設、3度目に現れた時には、弟子のハージャ・アブドゥッラーを通じてカーディリーヤを創設する(これはアブドゥッラーの子孫に受け継がれる)とともに、自身でクブリーヤを創設した。クブリーヤはジーラーニー自身の子孫によって受け継がれ、自分もその系統である。ジーラーニーは東郷のサーリーに現れ、そこで200年間ハルワを行い、東郷で亡くなった(廟は大湾頭に;建物更新中)。イフワーン派は、そんなことはありえないと言うが、ワリーには時をまたいで現れたり、瞬間移動をしたりということはあり得るのであり(アッラーメ・タバータバーイーもそうであったように、との発言)、またジーラーニーは(Manaqib Ghawthiyyaという本にもあるとおり)そうした奇跡が特に多いことで知られているのである。

 さらに、聖裔であることがどのような意味を持つのか、系図はあるのかという質問に対しては、

ムハンマドの子孫であることの意味はどうかと言えば、多くの人はそもそも私がムハンマドの子孫であることを認識していない。認識している人にとって、そのことに意味がないとは言わないが、とりたてて云々するほどのことはない。系図に関しては、80年前くらいまではあったが、その頃(共産化以前)に国民党の軍隊が通ったりした頃に書庫が焼かれてしまい、系図だけでなく、あらゆる本が焼けてしまっている。

とのお答えであった。臨夏で祁宗承氏が語って下さったヒダーヤトゥッラー関連の奇跡譚に続いて、ジーラーニーの東郷出現という奇跡譚と、それにもとづく張家の血統主張を聞くことができた訳である。また、そのような奇跡譚の存在に比して、聖裔の血統が現在の宗教生活において持つ意味に関する張教長の言葉は非常に控えめであったのが印象的であった。ここからは、過去においては奇跡という回路を使ってでも主張するだけの意味を持つものであった聖裔の血統が、現在ではその意義の大半を失ってしまっているという筋書きを想定することができるように思われる。
 なお、甘粛調査では、蘭州の霊明堂においても、馬文龍アホン(45歳)が語る道統の中に、ハミードゥッディーンというアフガニスタンからやってきた聖裔が登場していた。カシュガルに来ていたこの人物と、霊明堂の名祖である馬霊明が、時空を超えて霊的交感を行ったという話であった。

おわりに
 以上、調査旅行の端々で聖裔関係の質問を行ったことを「聖裔探訪」と称し、調査記録から関連の情報を抜き出してまとめてみた。スーフィー系の聖者、特に一族で教団の長の地位を相伝しているような人々がムハンマド一族の血統を称すのは他の地域でも広く見られることであるが、ヒダーヤトゥッラーの話にも、張家の話にも、血統の奇跡的な伝達という要素が見られたことには、「御本地」からはるか東に隔たった中国という地ならではの独自性が見いだせるのかもしれない。






1 河南省調査終了後、「2009年夏河南省回族調査報告:開封・朱仙鎮のアラビア文字碑文4基」と題する文書を作成し、黒岩高研究代表に提出した。この文書は、以下の四つの碑文の原文翻刻と日本語訳を呈示するものである:(120世紀初頭にウアールがその翻刻とフランス語訳を発表したものの(M. Cl. Huart, “Inscriptions arabes et persanes des mosquées chinoises de K‘ai-fong-fou et de Si-ngan-fou,” T‘oung-pao série II, 6-3 [1905], pp. 262-268)、その所在が不明となっていた、いわゆる「開封連班擁護碑文」(中西竜也の命名;中西「清代の中国ムスリムにおけるペルシア語文化受容」森本一夫編著『ペルシア語が結んだ世界:もうひとつのユーラシア史』北海道大学出版会、2009192-195頁参照)。この碑文が刻まれた石碑は、開封東大寺大殿とその前庭を囲む回廊の東辺北端、公衆便所の前に据えられていた。1世紀前のウアールがすでに激しい傷みを指摘していたが、当時と比べてもさらに著しく傷みが進んでいるのが残念である;(2)朱仙鎮清真北寺のいわゆる古行十三件阿文碑記;(3)開封北大寺のいわゆる古行十三件碑記;(4)開封北大寺北講堂の西側の壁に掛けられている、「劉氏捐施清真寺学堂市房碑記」(マドラサ[学堂]に対して家屋を提供したある商人を称賛する碑文)の拓本。このうち、基本的には同一と見なしうるテクストを呈示する(2)と(3)については、その後、中西竜也氏、黒岩高氏と共同で検討を進め、中西竜也、森本一夫、黒岩高「1718世紀交替期の中国古行派イスラーム:開封・朱仙鎮のアラビア語碑文の検討から」『東洋文化研究所紀要』(東京大学)第162冊、2012120 (223)-55 (288)頁を刊行した(東京大学学術機関リポジトリからダウンロード可能:http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/52866/1/ioc162002.pdf)。
2 幸いながら、河南省でも甘粛省でも、我々が出会った清真寺のアホンくらいまでの人々の間からは、私のアラビア語をせせら笑うような人物が現れることはなかった。
3 なお、記録が残っておらず確たることは言えないが、青年以外の2人に対して質問する際にも、我々が実際に用いた言葉は「サイイド」ではなく「聖裔」であったように記憶している。
4 ちなみにカルバラーの写真を飾っているのは、預言者の孫であるフサインに敬意を表して、とのことであった。
5 祁宗承氏自身は、伝承では血縁関係があることになっているが、本当のところはないのではないかと述べていた。

6 中西竜也氏の教示によると、このヒダーヤトゥッラーとは〓のことを指し、この奇跡譚は〓などの文献にも記録されているものであるとのことである。

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